モルゲンロートに染まる山並み(イメージ:写真AC)

■台風一過の雪のない南アルプス

今日ハルトは、高校時代の同級生、村上君と丹沢に来ています。同窓会で一度会ったきりになっていたので、お互いに無沙汰しないよう「たまに一緒にどうだい」ということになったのです。大倉尾根から塔ノ岳、そして表尾根を縦走し、真新しい三ノ塔山頂の休憩舎でコーヒータイムとしました。

コーヒーブレイクで山の体験談(イメージ:写真AC)

村上君はアウトロー的なところがあって、山でも何度かハメを外しています。マウンテンバイクを担いで雲取山へ登った話もそうでしたが、今回もまたユニークな話が聞けそうです。「南アルプスに鳳凰山って山、あるよね。あそこでなかなかインパクトのある体験をしたよ」。そう言って彼は、熱いコーヒーを一口すすりながら次のような話を始めました。

「僕が初めて鳳凰山(地蔵岳、観音岳、薬師岳の総称)に登ったのは11月も半ば頃だった。例年ならうっすらと雪で覆われる時期だが、珍しく台風が通過したから南アルプスの山々はすっかり雪が溶けてなくなっていた。これなら冬山の装備なしでも登れるぞと、決行することにしたんだ。未踏の山に登りたいという動機はもちろんのことだが、本命は"モルゲンロートの白峰三山"を写真に撮ることだった」

「モルゲンロートって?」とハルトが尋ねます。「夜が明けきらない早朝に、東の空から一筋の赤い光線が山筋を照らし、山脈や雲が赤く染まるドラマチックな朝焼けのことだよ。南アルプスの写真集を見て、僕は激しく感動したんだよ」

■超人的な速さで歩く地下足袋の登山者

「写真集の絶景は、鳳凰山の観音岳の頂上近くから撮ったことが書かれていた。あそこなら野呂川の深い谷を隔てて白峰三山がドラマチックにそびえる、遮るもののない大パノラマだからね」

こうして村上君はテントを背負い、中央本線の韮崎駅から一人タクシー代を奮発して御座石鉱泉まで向かったのでした。御座石鉱泉からはしばらくの間、急な山道を登り続きます。早朝の寒さはこたえましたが、やがて強い日差しも手伝って汗も吹き出します。旭岳を通過し、燕岳のピークで小休止。

ここで魔法びんのお茶を飲んでいると、下から目をみはるようなスピードで登ってくる単独行者がいます。頭にバンダナを巻き、地下足袋姿で背中には小さなリュック。無言のまま村上君の直ぐそばにやって来て腰掛けると、もぐもぐと菓子パンを齧りながら突然に聞いてきたのです。「今日はどちらまで?」

指定以外の場所でテントを張るのは山のルール違反だが(イメージ:写真AC)

村上君は少し返答に窮しました。本来なら、時間的に見ても今日はこの先にある鳳凰小屋でテントを張るのが常識ですが、彼は稜線まで登って密かにテントを張ろうかと考えていたのです。夜明けの絶妙なシャッターチャンスを捉えるには、あらかじめ稜線で待機した方がベターだという理由で。

もちろん指定以外の場所でテントを張るのは山のルール違反であることは彼も知っています。彼は慎重に言葉を選んで答えました。「稜線まで登って夜明けの白峰三山の写真を撮ろうかと思っています」