球磨川氾濫による国道219号の被害(写真:球磨村提供)

2016年の熊本地震に続き、2020年は豪雨災害に見舞われた熊本県。7月3日から7月31日にかけて続いた令和2年7月豪雨は当初「熊本豪雨」とも呼ばれた。

気象庁は4日18時までの24時間雨量を多い所で200ミリと予測していたが、線状降水帯が熊本県付近に形成・停滞したことから、熊本県内では6時間で450~500ミリを超える記録的な大雨となり、死者・行方不明者67人、家屋全壊1489棟、半壊3097棟などの甚大な被害をもたらした。

芦北町の土砂災害現場

3日時点で避難準備・高齢者等避難開始を呼び掛けた自治体もあったが、多くは夜中から朝方にかけて避難情報を発令せざるを得ない状況に陥った。過去に例がない記録的な豪雨に見舞われた地域も少なくない。清流として知られる球磨川やその支流は獰猛な姿へと変貌し、周辺の集落を次々に飲み込んでいった。球磨川では10メートル以上水位を増した地点も確認された。さらに、洪水や土砂災害はライフラインや通信インフラを破壊し、多数の集落が孤立し、固定電話や携帯電話、さらにはインターネットすらも接続できない地域も発生した。

予測ができない、前例のない規模の突然の災害。道路の寸断、通信の途絶、さらにはコロナの感染拡大が懸念される中で、自治体はいかにこの災害と闘ったのか。

対応に当たった自治体首長(当時)へのインタビュー内容をシリーズで紹介していく。

一晩で急激に天候が変わった

山江村

第1回は山江村。村内の90%は山林で、球磨川の支流である山田川と万江川が流れており、河川の氾濫と土砂災害により、死者こそ出なかったが甚大な被害が発生した。内山慶治村長に聞いた。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/51469

越水する前提で動いてくれ

人吉市

第2回は人吉市。球磨川は左岸、右岸の両側にあふれ20人の犠牲者を出した。市の東側に隣接する錦町で川辺川と合流した球磨川は、人吉市を抜け、東隣の球磨村へと流れ込む。松岡隼人市長に聞いた。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/51472

前日に出した避難情報、しかし避難につながらず

 

球磨村

第3回は、球磨村。人吉市でいくつかの支流が合流して水位を増した球磨川は、球磨村の山間狭窄(きょうさく)部へと流れ込み、国道や県道、村道、さらには周辺の集落を次々に飲み込んで村全体を孤立させた。14人の犠牲者が出た特別養護老人ホーム「千寿園」は支流・小川と球磨川の合流点にある。松谷浩一村長に聞いた。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/51473

あらゆる通信が途絶えた

八代市

第4回は、八代市。人吉市、球磨村を抜けた球磨川は、山あいの集落である坂本地区を抜けて八代平野、さらには八代海へと続く。この坂本地区で球磨川はかさ上げされた住戸を含む集落全体を飲み込み、4人が犠牲、1人がいまだ行方不明という大きな被害を出した。中村博生市長に聞いた。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/51476

恵みの川だから怖さも知っている

相良村

第5回は、相良村。球磨川水系における最大の支流で「日本最後の清流」とも称される川辺川が村を縦断するように流れる。川辺川は村の最南部で球磨川と合流。7月豪雨では、川辺川の氾濫などで多くの住家が被害を受けたが、犠牲者は出なかった。吉松啓一村長に聞いた。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/51495

建設課や消防職員だった頃の経験が生きた

津奈木町

 

第6回は、津奈木町。海岸部で熊本県の南部、水俣市の北隣に位置する。海沿いには急峻(きゅうしゅん)な山があり、細い道が集落をつなぐ。7月豪雨では多数の土砂災害が発生した地区である。山田 豊隆町長に聞いた。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/51497

「できることからやりなさい」

            芦北町

第7回は、芦北町。町の西部は八代海に面し、町域東部の山間部を球磨川が流れ、中央部には二級水系の佐敷川と湯浦川が流れ、県内で7番目に広い面積を持つ。7月豪雨では、山間地の土砂災害と河川氾濫により広範囲で被災し、11人が犠牲になった。竹﨑一成町長に聞いた。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/54091