帰宅困難者対策、従業員が先?一般市民が先?(photo AC)


■従業員が先か、それとも一般市民が先か?

次の議題は「帰宅困難者」の問題です。「さて、皆さん…」と呼びかけたところで、ヨシオの脳裏になんとなく歯車がかみ合っていないような感覚がよぎりました。それもそのはず、帰宅困難者対応の問題は1つだけではないからです。

ヨシオの会社には、社会貢献としてA市と結んだ帰宅困難者支援ステーションに関する協定があります。大地震などの影響で交通網が寸断したとき、路上にたくさんの帰宅困難者が発生する。そうした人々に一晩でも安全なスペースを提供するため、S社1階のショールームのフロアを帰宅困難者支援ステーションとして開放することにしているのです。

帰宅困難者支援ステーションとしての役割は、とても意義のあることですが、この協定がどのような経緯で締結され、その実現のためにどんな準備がなされているかといったことについては、ヨシオ自身もよくわかっていません。もし協定の締結がカタチばかりのもので、具体的な手順やルールが何も決まっていないとしたら、なんだかチグハグなことになってしまうかもしれない。

そもそもヨシオがみんなに考えてもらうよう呼びかけたのは、従業員を対象とした帰宅困難者対応の問題です。社内の帰宅困難者対応の手順やルールがあいまいなのに、見ず知らずの不特定多数の人々を対象としたボランティア的な活動などできるはずがありません。

ヨシオは少し気持ちを落ち着け、言葉を選んで次のように質問しました。「これから当社の従業員を対象とした帰宅困難者対応の手順を決めようと思いますが、その前に、すでに締結している一般市民を対象とした協定活動についてお聞きします。この活動のために、どのような準備がなされているのでしょうか」。

■燈台下暗しとはうちの会社のことだな

これには、協定の締結に関わった前BCP事務局のPさんが答えました。「ひとまず1階のショールームで100人程度が休憩できるようにビニール製の茣蓙シートを何十枚か用意しました。まあ一晩程度なら、雑魚寝でもガマンしてもらえるのではと」。「それだけですか」。「それだけです」。「従業員に対してはどうなんでしょう? 社外の人と同じ対応ということで?」。「そうです」。

周囲から、うーむという考え込むような声が上がりました。「ちょっと一工夫足らんではないかな。燈台下暗しとはうちの会社のことだな」。こう述べたのは専務でした。

「まずは社内の帰宅困難者対応の手順をしっかり決めるべきだね。従業員が帰るに帰れずにひもじい思いをして一晩じゅう固くて冷たいフロアに横になっているという状況では、BCPとしての活動に支障が出るのは火を見るより明らかだよ」。ヨシオも納得です。これに次いでさまざまな意見も出てきました。

S子さん:「帰宅できなくなったら、うちの子供たちとお爺ちゃんのことが心配です。家族と連絡がとれなかったりしたら、焦りと不安で居ても立ってもいられないと思うわ、きっと」。

熊本地震を経験したTさん:「大地震だと停電になるね。余震もひっきりなしに起こる。建物自体がが被災したら、どうするのかな」。

S子さんのように子供や高齢者のいる家庭も少なくありません。ヨシオとしては「社員の自宅・家族が無事であること」がBCPの大前提であると考えています

そこで彼は、従業員家族の課題として、保育園や学校での災害時の連携方法を確認してもらうこと、万一本人が自宅に戻れなくても隣家から声掛けしてもらえるような日頃の良好な近所づきあいが大事であることなどを強調しました。また、Tさんの意見に対しては、もし停電や建物の被災で中にとどまるのが危険な場合は、最寄りの避難所に社員を誘導することとしました。

■1週間分の食料×全従業員数? そんなのムリ!

Qさんからこんな意見がでました。「夏場なら一晩ぐらいはビニール茣蓙の上でも横になっていられるだろうけど、冬場はキビシイだろうね。暖かいスープの一杯も欲しくなる」。Qさんの意見は会社としての非常時備蓄の問題です。災害発生時の一般的かつ必須の備えとして、食料や水を3日~1週間分、これを従業員の人数分用意するものとされています。

ところが、コピー紙1枚でも節約せよと社内に呼びかけるヨシオの会社としては、額面通りにこれを完備するとなると、予算的にも保管場所的にも厳しいものがあります。そこでヨシオは次のような事を提案しました。

「当社の場合、食料や水を1週間分、いや3日分でも用意するとなると、いろいろな面で制約があるかと思います。ですので、世間一般に求められている備蓄量については、将来的、段階的に増やしていくことを検討し、当面は必要最小限の備蓄を用意するのが現実的な線ではないかと考えています。いつものように残業する人のために給湯室に用意してあるカップ麺5、6個だけというのは寂しすぎますが、「十分ではないが、これらを分け合えば一晩や二晩はしのげそうだ」と言えるぐらいの備蓄は用意しておこうと考えています。

会議席から手が挙がりました。「当社の場合、備蓄品の保管は駐車場横の保管庫を使うと思うのですが、仙台では震災の時に備蓄倉庫の鍵を紛失したり、鍵の管理者が不在で取り出せなかったといった話を聞いたことがあります」。これに対し隣の席から提案が出ました。「それなら、錠前方式ではなく、自転車のキーのようなダイヤル式にすれば、いざと言うときは番号を知っている人なら誰でも開けられます」。

■「必要最小限」の品目と数量をどう捉えるか?

さて、最後に残った課題は、ヨシオが提案した「必要最小限」の備蓄をリストアップすることです。ただし、ここで注意しなければならないのは「何をもって必要最小限と呼ぶのか」ということ。ここをまずはっきりさせておくことが大切です。

ヨシオは二つの側面から定義します。一つは「必要最小限の品目」です。食料品や飲料水メーカー各社は、東日本大震災以降、長期保存可能なさまざまな商品を防災備蓄用に開発・販売しています。したがって手早くこうしたパッケージを取り揃えることもできます。ただし、カロリーバランスやおいしさにこだわると、割高なレトルト食品のセットを選択することになってしまうし、お湯を頻繁に使うためにただでさえ不足がちな水とガスコンロの燃料を多く消費してしまいます。そこで、とりあえず熱を加えて調理する手間のない乾パンやカロリーメイトなどをメインとし、日頃から確保してあるカップ麺のストックを少し増やしてこれを補うことにしました。

もう一つは「必要最小限の数量」です。ヨシオの会社の従業員は、ざっくり見積もると三分の一が遠距離通勤者で、残りの三分の二は通勤時間が徒歩で1時間以内であることが分かりました。そこで、当面は帰宅困難に陥る可能性のある全体の三分の一の人数分の食料と水を用意することにしました。また、「毛布・寝袋」を旅館のように大量にストックすることは現実的ではありません。これも数量は三分の一に抑えた上で、薄手のブランケットをメインに、要介護者(体調不良や病気がちの人)のために寝袋を数本用意することにしました。さらに「停電や断水でトイレが使えないこともあるでしょう。あと始末の方はどうする? 」との意見も。これはうっかりしていた。ヨシオはすかさず「災害時用簡易トイレ」とリストに書き加えました。

(了)