(※前回掲載のこちらから続きます。)
■「誰にとっても心地よい社会」を目指して 杉戸式協働型災害訓練の作り方
http://www.risktaisaku.com/articles/-/2556
こうして2013年度の国土交通省補助事業「広域的地域間共助推進事業」がスタートしました。そして同事業の中では、あの日から現在まで何が起こっていたか整理する作業も行われました。普段のプレゼンテーション中では時間がなく、説明できなかったものなので、今回は背景からその後までじっくりと説明させて頂きます。
1.海・山一体の生活圏
福島県双葉郡富岡町は海岸沿いには東京電力第二原発(通称、2F)を抱え、原発の町として栄えてきました。人口は1万5996人(震災当時)。隣接する同郡の川内村は山に囲まれた村で人口は3028人(震災当時)。多くの村民は海沿いの富岡町に働きに出たり、買い物に訪れていました。富岡町民も「引退したら川内村に別荘でも作ってゆっくり暮らしたい」と言うほど、富岡町と川内村は長らく海・山一帯の生活圏として存在していました。
2.10年にわたるソフトテニスなどの民間交流
2Fを抱えることでその恩恵を受けていた富岡町は温泉付きの運動場などさまざまな施設が充実していました。杉戸町のソフトテニスやサッカー、軟式野球の少年団がその施設を合宿場所として2003年頃から度々訪れていました。さまざまなスポーツ団体の利用を通じて杉戸町・富岡町の住民同士の民間交流が長らく行われ、多くの杉戸町の人たちにとって富岡町は第二の故郷となっていました。
3.2010年に友好都市として提携
そのうちにお互いの町長(遠藤富岡町長・小川杉戸町長)を紹介するようになり、行政交流にまで発展してきました。はじめは、体育協会やスポーツ少年団に行政イベントを兼ねた友好交流としてスタート。そうして月日が流れ、杉戸町のスポーツ団体が利用しているように杉戸町としても富岡町を避暑地や第二の故郷としたいという思いを形にするため、姉妹都市(のち友好都市)として提携することになりました。
その際には「その後、行政職員の派遣交流や防災協定を結ぶという話まで出来ていた」(小川元杉戸町長談)そうです。杉戸町はかつて、1947年に関東一帯を襲ったカスリーン台風の影響で全町域が水没するという事態に陥りました。その経験から、再び水害が起きた際の避難先として富岡町を視野に入れての締結を行ったとのことでした。
民間交流から20年近く経った2010年11月3日、杉戸町の道の駅・まちの駅「アグリパークゆめすぎと」にて当時の遠藤富岡町長と古谷杉戸町長が出席し、友好都市締結と記念植樹が行われたのです。東日本大震災のわずか半年前の出来事です。
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