箸の上げ下げまでの詳細なガイドラインを求めることが思考停止状態を加速させる(イメージ:写真AC)

アリバイづくりに使われるガイドライン

ルールやガイドラインはそれを守ること自体が目的ではない。このことに異論を持つ方はいないだろうし、論理的な反論などできようがない。しかし、実態はかけ離れているのではないだろうか、というのが今回のシリーズにおける筆者の主張であり、その結果生まれるリスクを問題視するものだ。

ガイドライン本来の目的を見失っている(イメージ:写真AC)

周辺に存在するルールやガイドラインを真剣かつ冷静にもう一度見てもらいたい。本来の目的を達成するために最適になっているだろうか、ガイドラインを守ることが目的化していないだろうか、目的を見失っていないだろうか、と。一例として、筆者の体験的観点を前回でお伝えした。

こんなことを言うと身もふたもないかもしれないが、本音の理想論でいえば、目的さえ浸透すれば、ガイドラインなど不要どころかむしろ邪魔になる。それでも多くの人は「どうしたらいいかわからない」「具体的にやるべきことを示してほしい」という思考停止状態に陥る。そして箸の上げ下げまでの詳細にわたる記述を求める。それが思考停止状態に輪をかけ『やっている感』という間違った安心につながり、目的を見失うのだが。

この思考停止状態が蔓延すると、企業経営におけるガイドラインなども大きな影響を受ける。あたり前だろう。社会的な同調圧力が企業活動にも及ぶのだから。

形骸化したガイドラインが単に「やっている」ことの証拠づくりに使われている(イメージ:写真AC)

そうなると、ガイドラインが存在しないことに対する批判を恐れ、形骸化したガイドラインがつくり出され、通達される。それを受ける従業員は、思考停止状態で言葉面を追いかけて右往左往し、一部では勝手な解釈でアリバイづくり的感覚での自己正当化が横行してしまう。この現象は偽装実行そのものでもあり、不正にすらつながるといってもいいだろう。

それはあまりにも極論が過ぎるだろうと感じられるかもしれない。実際に通達された指針は、Eラーニングなどで優等生的な生徒が理解を示していて目的は浸透しているとの主張もあるだろう。

しかし、その優等生たちの現場での行動はどうなっているか、という観点でつなげる仕組みが乏しいのではないだろうか。あるいは、現場行動とつなげたとしても、それをチェックする視点が目的を見失って、文字面を追いかけるだけの誤魔化しになっていないだろうか。

このように。企業内に存在するガイドラインや指針などのルールに向き合い、その問題性を顕在化するには、やはり社会に横行する形骸化したルールの類に対し、その本質を考える姿勢が必要不可欠だと確信している。