2021/04/26
事例から学ぶ


福島県楢葉町は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際、原発事故などで避難を余儀なくされた。避難解除後もなかなか帰還が進まなかったが、消防団の再編などで地域の防災力を確保。訓練などを通して、いざというときのつながりを確認している。同時に災害記録誌の編纂やSNSを通じた情報発信で災害に対する心構えを持ち続ける。震災の経験を地域の安全力向上に生かしている。
東日本大震災から10年 復興のいま
福島県楢葉町
町内居住率4.36%から約6割へ
福島県浜通り地方の中程に位置する楢葉町は、東日本大震災が引き金となって発生した福島第一原子力発電所事故の後、町域の9割が第一原発から半径20キロ圏内の警戒区域に指定された。翌年8月10日には、放射線の年間積算量が20ミリシーベルト以下となる避難指示解除準備区域に変更され、日中の町内の立ち入りが自由になった。それから3年5カ月余り後の2015年9月5日、避難指示解除に至り、ようやく住民の帰還が始まった。
楢葉町の公表データによると、震災発生日の2011年3月11日時点で住民基本台帳に登録されていた町人口は2887世帯8011人。避難指示が解除される前日の2015年9月4日時点では2694世帯7363人だった。一方、町が防災・防犯上から避難指示解除後に帰還した町民の把握のために回収した「町内居住者確認票」に基づく同年10月5日時点の居住者数は203世帯321人。同年9月4日時点の住基登録人口を分母とした場合の「帰還率」(町内居住率)は4.36%だった。
それから約5年半が過ぎた今年2月28日現在、住基登録人口は3025世帯6771人、居住者数は2069世帯4050人、町内居住率は約6割(59.81%)にまで回復した。年代別の人口で見ると、65~69歳の408名を最多とする高齢化率の高い構成となる一方で、乳幼児の増加をはじめ若年・青年層の人口も次第に厚みを増しつつある。
被災地域の復興の足取りを、町内居住率6割という数字で捉えたとき、そこまでの道のりの長く険しかったことが想起されると同時に、まさにこれからとなる「まちづくり」に期待が寄せられ、将来に対して担う責任の重圧も推し量られる。防災の観点では、地域を支える働き盛りの年代が厚みを増して初めて、高齢者や障がい者を含むすべての住民に行きわたる安全・安心の取り組みが可能になることが期待される。楢葉町くらし安全対策課の菅井俊貴氏は「ようやく町内で居住する人も増えてきました。行政区などの地区での避難計画を立てていこうと考えているところです」と手応えを示す。

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