ビル106棟のうち22棟が撤去

阪神・淡路大震災では、旧居留地地域も甚大な被害を被った。当時から連絡協議会のメンバーとして会社を営んでいた大神倉庫株式会社取締役社長の西金秀記氏は、「えらいことだと思って、会社に車で向かっていたら、神戸市役所が倒壊しとるという情報がラジオから流れて、私どものビルも市役所の隣にあったのでよけい心配になった。幸いビルは無事だったが、まわりは普段通れる道が通れないし、歩道も通ったりもしたが、とにかく大変だった」と当日の様子を振り返る。旧居留地では、建物の破壊、事業所の撤退などで、エリア内のビル106棟のうち22棟が撤去せざるをえなかったという。

写真を拡大  被災した神戸市役所(写真提供:神戸市)

被災者や建物の倒壊などの直接的な被害だけでなく、震災後には事業所や就業者が激減して経済的なダメージも大きかった。そのような中で、防災委員会が発足することになったきっかけを株式会社地域問題研究所の山本俊貞氏は次のように語る。

「震災後、旧居留地をどうするのか、神戸のビジネスの中心地なんだから、ビルは真っ先に再建せなあかんやろという思いを皆さんがお持ちになったように思います。まちの復興計画を検討している過程で、『次にまた地震が起こったらどうするんや』ということになり、独自の防災計画を考えようということで、97年10月に防災委員会を新たに設置することになったのです」。

防災計画作りに先立って、会員企業に「防災マニュアルを持っていたかどうか」のアンケート調査を実施した。その結果、大企業ではほとんど整備されていたが、中小の地場企業はほとんど持っていないことが分かった。そこで、各社のマニュアル作りから取り組もうということになった。

「まず、会員各社で地震が来たらどうするかシミュレーションをして、それぞれに必要な対策を考えてもらい、それをもとに防災マニュアルを作ってみることからスタートしました。社員同士の連絡がつかなくて困ったという具体的な経験から、社内の連絡網作りも盛り込みました。まず、自分のところでどうするか自助の部分を検討し、さらに全体に広げて共助の部分を考える。連絡協議会メンバー10社ぐらいで共助に何が必要かをシミュレーションし、共助のために自分の会社ではどうするかという案を出してもらいました」(山本氏)。