2019/02/04
安心、それが最大の敵だ
東洋一の鉱山の「光と影」
「岩手県の百年」(山川出版社)などにより同鉱山の「光と影」を改めて検証してみたい。
松尾鉱山では、大正4年(1915)に飯場制度の中間搾取や制裁の過酷さに抗議する工夫のストライキが発生した。会社はその仲裁者として、労働者を直接雇用に切り替えるなどの収拾策を取った。一方、鉱毒水に対する流域農民の抗議(農業用水が確保できない!)と抵抗は昭和初期から続けられた。だが問題解決は戦後に持ち越された。
同鉱山は、昭和16年(1941)の重要鉱山指定と住友鉱業との提携で生産倍増、機械化推進、八戸専用ふ頭の設置と拡充と、政府補助金や価格調整補給金つきの「華々しい」発展期を迎える。しかし赤川・北上川鉱毒水汚染によるたびかさなる農民の補償要求運動をはじめ、昭和14年(1939)に突発した241人生き埋めの大落盤事故、さらには朝鮮人労働者や転廃業者の報告隊受け入れによる労働力補充などの「影」を背負う時期もあった。
松尾鉱山は、戦時下米軍機の空襲の打撃もあって、敗戦直後の生産は戦前の最高に比べて硫黄・硫化鉱とも1割以下に落ち込んだ。政府主導の補給金支給による生産奨励が再開されると、同鉱山は昭和22年(1947)には敗戦時の4倍近い24万トン余り、昭和25年(1952)には54万トンと、ほぼ戦前の水準を回復した。一時は日本の硫黄生産量の30%、黄鉄鋼の15%を占め、東洋一の産出量を誇った。鉱山労働者への福利厚生施設も充実していく。敗戦後間もない時期に、上下水道、ガス、暖房器具、水洗トイレ、セントラルヒーティングを完備した4階建て鉄筋コンクリート造住宅をはじめ集合住宅群さらには小・中学校・夜学高校、病院、映画館など、当時の最先端の施設が備わっていた。しかし「楽園」は続かなかった。
同鉱山の硫化鉱は昭和31年(1956)の6万5000トンをピークに減少傾向に転じ、1860年代からの公害規制に伴う重油脱硫により安い回収硫黄が市場に出回るようになって経営が悪化した。会社更生法適用申請、全員解雇、そして昭和47年(1972)にはついに閉山。松尾鉱業(株)も倒産して「義務者不存在鉱山」となった。広大な露天掘りの廃墟・廃坑と鉱毒水問題とが北上川流域住民に負わされた巨大なツケとなった。
松尾鉱業は岩手県の中で最大企業の一つであった。松尾鉱業の功績が大きかったたこともあって、県民は鉱山に反発心を抱かない傾向にあったという。東洋一の硫黄鉱山が岩手県にあるという誇りがあった(昭和51年・1976年になって元松尾鉱山の珪肺患者の遺族の訴えがやっと認められて労災補償を獲得している)。
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
自社の危機管理の進捗管理表を公開
食品スーパーの西友では、危機管理の進捗を独自に制作したテンプレートで管理している。人事総務本部 リスク・コンプライアンス部リスクマネジメントダイレクターの村上邦彦氏らが中心となってつくったもので、現状の危機管理上の課題に対して、いつまでに誰が何をするのか、どこまで進んだのかが一目で確認できる。
2025/04/24
-
-
常識をくつがえす山火事世界各地で増える森林火災
2025年、日本各地で発生した大規模な山火事は、これまでの常識をくつがえした。山火事に詳しい日本大学の串田圭司教授は「かつてないほどの面積が燃え、被害が拡大した」と語る。なぜ、山火事は広がったのだろうか。
2025/04/23
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/04/22
-
帰宅困難者へ寄り添い安心を提供する
BCPを「非常時だけの取り組み」ととらえると、対策もコストも必要最小限になりがち。しかし「企業価値向上の取り組み」ととらえると、可能性は大きく広がります。西武鉄道は2025年度、災害直後に帰宅困難者・滞留者に駅のスペースを開放。立ち寄りサービスや一時待機場所を提供する「駅まちレジリエンス」プロジェクトを本格化します。
2025/04/21
-
-
大阪・関西万博 多難なスタート会場外のリスクにも注視
4月13日、大阪・関西万博が開幕した。約14万1000人が訪れた初日は、通信障害により入場チケットであるQRコード表示に手間取り、入場のために長蛇の列が続いた。インドなど5カ国のパビリオンは工事の遅れで未完成のまま。雨にも見舞われる、多難なスタートとなった。東京オリンピックに続くこの大規模イベントは、開催期間が半年間にもおよぶ。大阪・関西万博のリスクについて、テロ対策や危機管理が専門の板橋功氏に聞いた。
2025/04/15
-
BCMSで社会的供給責任を果たせる体制づくり能登半島地震を機に見直し図り新規訓練を導入
日本精工(東京都品川区、市井明俊代表執行役社長・CEO)は、2024年元日に発生した能登半島地震で、直接的な被害を受けたわけではない。しかし、増加した製品ニーズに応え、社会的供給責任を果たした。また、被害がなくとも明らかになった課題を直視し、対策を進めている。
2025/04/15
-
-
生コン・アスファルト工場の早期再稼働を支援
能登半島地震では、初動や支援における道路の重要性が再認識されました。寸断箇所の啓開にあたる建設業者の尽力はもちろんですが、その後の応急復旧には補修資材が欠かせません。大手プラントメーカーの日工は2025年度、取引先の生コン・アスファルト工場が資材供給を継続するための支援強化に乗り出します。
2025/04/14
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方