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安心、それが最大の敵だ
内務技師・青山士の晩年と死
戦前の内務省土木局を代表する技師(技術官僚)の一人、青山士の生涯を簡単にスケッチしてみよう。青山は現在の静岡県磐田市に生まれ、東京帝国大学工学部卒業と同時にアメリカに渡り、パナマ運河開削工事に唯一の日本人土木技師として従事した。その技術力や人格はアメリカ技術陣からも高く評価された。7年半従事した後、帰国し内務省技師となった。荒川放水路開削(東京都)、鬼怒川治水事業(茨城県など)、大河津分水改修工事(新潟県)などの大事業を手掛けた。その後内務省技監(技術官僚最高ポスト)、土木学会会長を務めた。青年時代に無教会主義クリスチャンの内村鑑三の影響を受け土木事業に天職を見出した。終生、無教会主義のクリスチャンであった。
2019/09/24
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安心、それが最大の敵だ
鬼怒川決壊から4年、洪水と治水の歴史
今年も洪水の季節を迎えた。私は洪水問題を考える時、東大名誉教授高橋裕氏の名著「洪水論」の一節を思い出すことを常とする。
2019/07/22
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安心、それが最大の敵だ
2.26事件、技監青山士、「朝日」襲撃
昭和11年(1936)2月26日未明、降り積もった雪を踏みしめて、陸軍大尉野中四郎ら皇道派青年将校20人に率いられた叛乱軍1400人は武装して、首相官邸、内大臣(天皇を補佐する大臣)私邸、侍従長私邸、蔵相私邸、教育総監私邸などを次々に襲った。内大臣斎藤実、蔵相高橋是清、教育総監渡辺錠太郎は殺害され、侍従長鈴木貫太郎は重傷を負った。首相岡田啓介、前内大臣牧野伸顕は危うく難を逃れた。
2019/05/07
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安心、それが最大の敵だ
<没後55年記念特集>青山士のパナマ運河開削時代~青春の情熱、唯一の日本人土木技術者~最終回
明治37年(1904)6月7日、熱帯の夕日が燃えるパナマ大西洋側の港コロンに測量隊を乗せたユカタン号が接岸した。大勢の隊員中、日本人は背丈の低い青山だけである。晩年になって、青山は当時を振り返って言う。
2018/05/01
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安心、それが最大の敵だ
<没後55年記念特集>青山士のパナマ運河開削時代~青春の情熱、唯一の日本人土木技術者~その2
パナマ情勢は青山がシアトル滞在中の明治36年(1903)11月5日に急変し、パナマがコロンビアから分離独立を宣言する。翌6日、アメリカ政府はパナマ独立を承認する。アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、海軍力の増強とにらみあわせて、アメリカによるパナマ地峡での運河開削に強硬であった。大統領ルーズベルトの手法は帝国主義国家に突入するアメリカの「棍棒(こんぼう)外交」である。同月18日アメリカ・パナマ両国政府は、26条からなる運河条約(ジョン・ヘイ=ビュノオ・ヴァリア条約)に調印する。この条約は「パナマ人が調印していない条約」と呼ばれた。これによって、「パナマは、幅10マイル(約16km)の陸地及び水面下の土地の使用及び管理をアメリカに対して永久に譲与する」ことになるのである。1000万ドルの一時金、25万ドルの年金と引き換えに、アメリカはパナマ運河地帯の永久租借権を得ることになった。
2018/04/23
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安心、それが最大の敵だ
<没後55年記念特集>青山士のパナマ運河開削時代~青春の情熱、唯一の日本人土木技術者~その1
「『その頃から、私の気がだんだん変になってきたんですよ』と、先輩(注:青山士〈あおやま・あきら〉)はなつかしげに笑いながらパナマ時代を回顧された。その精神の底には、なんとか全人類のための工事に参加しようという烈しい志が、大学生時代の青山さんの心につねに秘められていたのであろう。全人類の立場で仕事を選び、それを実行しようとする意志、このような人生観を培うことが出来たのは、青山さんが高校・大学時代、毎日曜日に通われた内村鑑三の影響がおそらく至大であろうと思われる(青山は生涯内村の唱えた無教会クリスチャンであった)」
2018/04/16
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安心、それが最大の敵だ
<大事件の前に必ず小事件あり>~技師青山士の名言
「大事件の前には必ず小事件がある。小事件をいち早くキャッチすることが技術者の最大の任務である」「技術は人なり」「手抜き工事は国民への背信行為である」。
2017/03/16