2015/03/25
誌面情報 vol48
大イベントでの対策
普通に考えれば、CBRN事態が起こるというのは一生に一度あるかないかであり、それも大きなことにならず、何とか収めることができるレベルと考えられるだろう。だが、オリンピックのように、大注目されるイベント(HighVisibilityEvent=HVE)にあっては、華美に飾ることよりも備えを固めることが求められる。注目されるイベントというのは、メディアの関心を引くと同時に、危ない人々も関心を持つ。犯罪者やテロリストにとっては、文化的、財政的に価値の高い人々を襲うことは常に魅力的である。まして、世界のメディアが注目している中でやれるとなれば、最高であろう。サッカーの大会、FIFAワールドカップやUEFA欧州カップのようなものも魅力だが、オリンピックに勝るものはない。過去のテロ攻撃に順番をつけるような試みがあるとすれば、ミュンヘン五輪での出来事(イスラエルのアスリート11人が選手村で殺された殺人事件)が最高位に来るであろう。どんなスポーツチームよりも、ナショナルチームの誇りと存在は標的となる。これには、マンチェスターユナイテッドやチェルシーのような有名どころもかなわない。その国の希望と夢を打ち砕いてやりたいというのは、テロ集団の根源的な欲求である。その中でも、一番特別なイベントは、やはりオリンピックである。したがって、東京オリンピック2020もCBRNEを含めた、あらゆる脅威から守られる必要があるのだ。
HVEにおけるセキュリティについては、常に、包括的であると同時に目立たず目に見えないようにすることとのバランスが必要とされてきた。ロンドンオリンピックで呪文のように言われてきたのは、これはスポーツイベントであることが第一であって、セキュリティはその次であるということであった。しかし、CBRN防護にとって、これは簡単なことではない。セキュリティは、イベントの中で階層的に組み上げられなくてはならず、これは人的要素と物的要素の両方に関係してくる。
人的要素
CBRN防護においては、技術を磨くことが不可欠であり、どんなに才能があったとしても、すぐに専門のオペレーターになれるわけではない。その理由としては、各個で見れば、PPE(個人防護装備)の熱負荷の問題がある。この防護スーツには2つのタイプがある。気密の「宇宙服」タイプ(よく災害の映画で好まれるやつ)と、半透過性のものである。防護性が高いほど、隊員が耐える身体的な負荷は大きくなる。気密スーツでは、45分がせいぜいである。これは、中の空気ボンベ容量が45分しかないことが大きい(面白いことに、着けている隊員が激しく呼吸すればするほど、空気は少なくなる。つまり、隊員の活動と負荷によって、活動時間が左右されることになる)。しかし、隊員が耐えるべきは、熱負荷の方が大きい。スーツは何層ものポリマーでできていて、確かにガスの浸透は防ぐが、体表からの水蒸気の拡散も止めてしまう。だから、全ての熱と汗はスーツ内に閉じ込められたままになる。半透過性のスーツでは、活性炭の層が働いてスーツを透過しようとする危険なガスを吸収する。しかし、液滴を止める能力にはやや劣る。この半透過性のスーツは、はるかに快適であり、NATOの兵士たちは着たままで一日中、あるいは一週間過ごす訓練を実施している。呼吸器保護のためのマスクも装着するが、これは身体的な負荷と同時に、心理的な負荷も与える。マスクは、見た目が怖いだけでなく、装着者に閉所恐怖症の気分を与える。暑苦しく汗まみれになるだけでなく、孤独感まで与えてしまう。全ての問題は訓練で解決しうる。これは、新人隊員に防護衣とマスクを投げ与えて、「これを装着して仕事してこい」と言っても、ダメなことを意味している。このような身体的不快感を経験すれば、誰もがこんなことはやりたくないと思うのがよく理解できるだろう。
物的資源
CBRNの対応に当たる隊員の基本的な任務は、そこに危険なものがあるかどうかを明らかにして、できればそれを安全化することである。このために、隊員は検知・識別のための幅広い機材を持ち、サンプル(固体や液体、気体のこともあるだろう)を同定して有用な情報を提供する。機材が、隊員に、「物質がジエチルパラーニトロフェノールチオフォスフェートである」と告げたたけでは役に立たない。同様に、パラチオンと告げただけでもダメである。CBRNを扱う隊員としては、それがどんなものかを知らなければならない。隊員は、検知器からの情報を噛み砕いて、指揮官に報告することが必要になるのである。指揮官が状況判断と決心をするために。ちなみに、パラチオンとは、一種の神経毒であり、大変危険なものである。全ての情報は、指揮系統の誰かに必要なものであり、最初に対応に当たった隊員が全てを明らかにする必要はない。これは、多種類の検知器を持っておく必要性を示している。知識レベルの違う隊員が、これらを維持し装備しておく。また、一般市民が気付かないうちに、見えないように検知することも重要である。何か、怪しいものがあったとして、それは爆発物の痕跡かもしれないし、医療用の放射線源かもしれない。これらは全て、穏やかに発見されて、一般市民を怖がらせ大事に至ることのないようにしなければならない。
東京オリンピックに向けて
東京は、オリンピックの準備完了を宣言する前に多くの課題を抱えている。そして、この宣言は、参加国に独自のセキュリティ対応手段の持ち込みを必要ないと思わせるだけのものでなくてはならない。これには、訓練された要員と装備を示さなければならないが、結論として、まだ不十分であると考えられる。その理由は、これまでのどの開催国も同じ結論であったからである。ある国は、リスクを甘受するとして、ひたすら何もないことを祈った。ある国(英国だが)は、装備をリースで賄うことを決めた。また、ある国は、自国の防御能力を高めるために装備機材購入を決断して、オリンピックの歴史に残る前向きな対応をしている。ブラジルがそうである。実際に、ブラジルと日本には、オリンピック準備という観点から、類似点が多い。両国ともに放射能の問題がある(ブラジルは、1987年のゴイゴニア事案)。冷戦期に、CBRNに手を染めていないという共通点もある。ブラジルが独自の道を歩んだと同様に、日本もまた、欧州や北米のHVE準備に学ぶものは少ないのかもしれない。リスクを甘受すべきところ、あるいはとりあえずガムテープで補強するような部分などほんの一部であるのかもしれない。ただ、主要な課題は、長期的な視点に立って解決すべきということだ。長期的な解決策というのは、例えば共通認識を実現するコマンドセンターのようなものは、後々のイベントにおいてもずっと使用できるものである。
CBRNにおいては、少量でも長期にわたって脅威となるようなものもあれば、短期間に大量の課題解決が必要なものもある。このことを無視することはできない。オリンピックは、間違いなく日本のCBRN対策にとって千載一遇のチャンスである。だが、どのような道を進むべきと示唆するのは、まだ早いであろう。
Profile
Gwyn Winfield (グウィン・ウィンフィールド)
「CBRNe World」誌編集長。防衛および国土安全保障の記者として約20年、CBRN問題について13年間執筆。NATOやアメリカ犯罪科学アカデミー、カナダの警察庁をはじめ、世界中のカンファレンスや会議で数多くの講演をしている。また、これまでにコソボ、アフガニスタン、中東をはじめ、ヨーロッパ、南米、北米、アジアを幅広く取材・執筆しており、BBCのドキュメンタリー番組ほか、ラジオ、新聞などCBRN活動は幅広い。共著に『Axis of Evil』がある。
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