2019/02/25
安心、それが最大の敵だ
営団地下鉄原案と太田の自殺
このような観点に立って、太田は、省線電車とくに山手線の各駅を市内高速鉄道の終点とすること、すなわち路面電車に代わる高速鉄道を山手線の内側に建設すべきとして主張する。この高速鉄道の路線網について、太田は、それまでのいくつかの出願・免許路線では、都心部における路線配置という点で問題があるとして、ヨーロッパの大都会における高速鉄道の計画に際して提起されているいくつかのパターンを紹介し、都心部における目的地への移動の際の乗換回数をなるべく少なくするという立場に立ち、しかも東京の場合、南東方向が海であるという条件に立ってパターン図を描いた。
このパターン図にしたがって、太田は路線図について2つの案を考えた。それまでの計画路線がいたずらに多くの路線を構想していたのに対し、彼の案は2つとも5路線として建設費を節約し、乗換駅は線路が上下に交差する方式をとり、乗換のための移動を立体移動ですむように考案した。この路線の案をつくるうえで太田が配慮した条件は、次のようなものであった。
1.省線電車線を基幹とすること。
2.省線相互の連絡設備、停車場間の距離、実際の運転能率と利用者の便宜を考慮すること。
3.路面電車のような補助交通機関との「融合」を考慮すること。
4.路線ルートの地形や地質を考慮すること。
5.市内交通の「大局」から見た合理的な運転系統を考えること。
この路線図は、それまで立てられたいくつかの計画とまったく異なり、上記の条件を踏まえた合理的な根拠によって作成された。
東京における高速電車の計画は、太田の構想において、はじめて、科学的・合理的な基礎に立ってまとめられたのである。この路線網が発表された直後、東京市は大正14年1月8日に市営の高速鉄道5路線の建設を出願し、5月16日に免許を得た。この路線は、太田が構想した2つの案とルート・パターンがよく似ている。おそらく太田の案に基本的なパターンを倣ったものと考えられる。その中で2点だけ異なる所がある。一つは太田案の高田馬場で接続する線を外し、大塚に接続する線を挙げていること。二つ目は亀戸駅に接続する線を途中の押し上げで切っていることである。郊外との連絡を考えれば高田馬場の重要性が認識されてしかるべきであるのに、大塚を選んだ理由は不可解である。また亀戸との接続をとらなかった理由についても、当時工場地帯の通勤需要が増大していた事情を考えると、これも不可解と言うしかない。
これらの高速鉄道を計画するに当って、太田は、当時としては旧来のしきたりを打破する斬新な方式を提案した。それは、省線電車の3線やこの高速鉄道線をまとめて半官半民の経営組織を作り、この組織が運営に当るべきであるという主張であった。1920年代に入って、ヨーロッパの大都会では都市交通機関の市営を止め、公社組織による運営体制をとる方向に進んでいた。それは都市の巨大化による交通問題に対応するための措置であった。
◇
日本では1930年代(昭和初期)に入ってからこの方策についての調査が始められ、昭和13年(1938)陸上交通事業調整法が公布されて、大都市における交通機関の合同を中心とする交通調整事業が開始された。しかし、東京を例にとって見ると、鉄道省と東京市との協議が成立せず、省線電車と東京市電はそのまま、地下鉄道を中心に昭和16年(1941)帝都高速度交通営団が設立され、その他の地域別の企業合同が実施されたが、都市交通機関全体の公社組織化はついに実現しないで終わった。それは、現代に至るまで続く東京および周辺の交通問題の根源となっている。ヨーロッパの都市交通についての対策を学びながら、東京の交通問題の解決のためにこのような提案を行った彼の先見性は高く評価されなければならないであろう。
才人としても知られた太田圓三は、大正15年(1926)3月21日、文京区の自宅で突然心臓をナイフで突き刺し命を絶った。享年45歳。用地買収にからむ土地利権屋と復興局職員の汚職事件が発覚し、鉄道省から復興局経理部長に出向し、当時鉄道省に帰って経理局長の職にあった十河信二までが逮捕されるという重大事が引き起こされていた。太田の心痛はその極に達していたと言われる。後藤新平に近い十河の逮捕は、その背後に政友会系の陰謀を推測させるものがある。政党政治家が引き起こす軋轢は、「伏魔殿」とされる東京市議会を中心に展開される利権争いそのものであった。醜い利権抗争の中で、復興事業の中心として作業を進めることは、通り一遍の神経では不可能であろう。
そのうえ鋭敏な太田は、内務官僚の詭弁ともいうべき議論を着任早々に経験していた。復興事業の予算に高速鉄道の建設費をいくらかでも組み込むことを提案した彼に、社会局長官帝都復興院理事の職にあった池田宏は「国民全体の税負担で、東京の人の便利を図る事業を起こすことは認められない」と言って反対した。その場しのぎの詭弁を使う官僚どもとも対決しなければならない激職というべき職務が、土木部長には負わされていたのである。
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
自社の危機管理の進捗管理表を公開
食品スーパーの西友では、危機管理の進捗を独自に制作したテンプレートで管理している。人事総務本部 リスク・コンプライアンス部リスクマネジメントダイレクターの村上邦彦氏らが中心となってつくったもので、現状の危機管理上の課題に対して、いつまでに誰が何をするのか、どこまで進んだのかが一目で確認できる。
2025/04/24
-
-
常識をくつがえす山火事世界各地で増える森林火災
2025年、日本各地で発生した大規模な山火事は、これまでの常識をくつがえした。山火事に詳しい日本大学の串田圭司教授は「かつてないほどの面積が燃え、被害が拡大した」と語る。なぜ、山火事は広がったのだろうか。
2025/04/23
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/04/22
-
帰宅困難者へ寄り添い安心を提供する
BCPを「非常時だけの取り組み」ととらえると、対策もコストも必要最小限になりがち。しかし「企業価値向上の取り組み」ととらえると、可能性は大きく広がります。西武鉄道は2025年度、災害直後に帰宅困難者・滞留者に駅のスペースを開放。立ち寄りサービスや一時待機場所を提供する「駅まちレジリエンス」プロジェクトを本格化します。
2025/04/21
-
-
大阪・関西万博 多難なスタート会場外のリスクにも注視
4月13日、大阪・関西万博が開幕した。約14万1000人が訪れた初日は、通信障害により入場チケットであるQRコード表示に手間取り、入場のために長蛇の列が続いた。インドなど5カ国のパビリオンは工事の遅れで未完成のまま。雨にも見舞われる、多難なスタートとなった。東京オリンピックに続くこの大規模イベントは、開催期間が半年間にもおよぶ。大阪・関西万博のリスクについて、テロ対策や危機管理が専門の板橋功氏に聞いた。
2025/04/15
-
BCMSで社会的供給責任を果たせる体制づくり能登半島地震を機に見直し図り新規訓練を導入
日本精工(東京都品川区、市井明俊代表執行役社長・CEO)は、2024年元日に発生した能登半島地震で、直接的な被害を受けたわけではない。しかし、増加した製品ニーズに応え、社会的供給責任を果たした。また、被害がなくとも明らかになった課題を直視し、対策を進めている。
2025/04/15
-
-
生コン・アスファルト工場の早期再稼働を支援
能登半島地震では、初動や支援における道路の重要性が再認識されました。寸断箇所の啓開にあたる建設業者の尽力はもちろんですが、その後の応急復旧には補修資材が欠かせません。大手プラントメーカーの日工は2025年度、取引先の生コン・アスファルト工場が資材供給を継続するための支援強化に乗り出します。
2025/04/14
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方