4) 以上で検討したところに照らすと,平成21年4月の改正学校保健安全法 施行後にあっても,大川小学校の実情として,同法29条に基づき作成すべ き危険等発生時対処要領に,津波発生時の具体的な避難場所や避難方法,避 難手順等を明記しなければならなかったとまでいうことはできず,したがっ て,同法を根拠に,教員が,そのような内容に危機管理マニュアルを改訂す べき注意義務があったともいえない。

そして,このほか原告らが主張するようなマニュアル改訂をすべき注意義務を教員に課すべき理由は認められないから,同注意義務違反をいう原告ら の主張は,前提を欠いたものとして,採用できない。


地裁判決は、マニュアル改訂の注意義務違反については否定しています。地震後の避難について地裁判決はどういっているのでしょうか?

イ 教員は,本件地震発生当初,下校前の学校管理下の児童を,揺れが収ま るまで机の下に入らせ,揺れが収まった後には校庭に避難させ,続いて, 下校直後に学校に戻り又は留まって校庭に避難した児童も併せて100名余りを,下校させないまま継続的に管理下に置いたのであるが,認定事実によれば,教員のこのような対応は,在校中児童の校庭への避難誘導を行った上,体感された本件地震の規模の大きさ,午後2時52分頃に防災行 政無線から流れた宮城県沿岸への大津波警報発令の情報やラジオから得られた地震津波関係の情報,余震が繰り返し発生している状況等を踏まえ,本件地震の揺れが収まった後も,下校途中や帰宅後の児童の安全が十分に確保されていないものと判断し,保護者等の迎えにより安全が確保されている児童を個別に下校させる以外,大津波警報が解除されたり余震が収束するなどして安全が確認されるまでの間,スクールバスを利用するものも含めて児童の下校を見合わせるという,児童の安全確保のために必要な措置を執ったものと認められ,それ自体は,危機管理マニュアルにも則った適切なものであったということができる。 


児童を校庭に待機させたままにした点については、保護者のお迎えに対応していること、下校をみあわせるなどの安全確保のための必要な手段であることから、危機管理マニュアルにも則った適切なものだったとするのが地裁の結論です。

そして,石巻市の防災ガイド・ハザードマップ上,大川小学校が津波時の避難場所として指定されていたこと,保護者等の迎えがあった児童は個別に下校させる必要があったこと,校庭では防災行政無線の放送を聞くことができたこと,といった事情からすると,教員において,当面は大川小学校を離れずに校庭に留まり,ラジオや防災行政無線を通じて本件地震や津波に関する情報収集を行い,余震の推移を見極めるなどしようとしたとしても,これを不相当と評価すべきではない。 


大川小学校がハザードマップ上、津波時の避難場所になっていたので、教員が放送を聞いて情報収集をしていても不相当ではないとしました。

この後、判決は、そうはいってもこれは過失と言えるという事例をだしてきます。「校庭で避難を継続することが具体的に危険」とわかれば避難しなければならないので、具体的な危険がわかっているのに、避難を怠れば過失になるという理由なのですが、3時30分以前の段階の出来事について、判例はいずれも「具体的に危険」とは、わからなかったとします。しかし、

そのような中,河北総合支所の広報車による呼び掛けに関しては,前記認定のとおり,遅くとも午後3時30分頃までには,広報車が大川小学校の前を広報しながら通り過ぎて三角地帯に至り,それを聞いたE教諭がD教頭に対して,「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても山に逃げますか。」などと問い掛けていたものと認められる。

このように,E教諭は,河北総合支所の広報車による呼び掛けを聞いたものであるが,これは,ラジオによる宮城県全般に関する情報などではなく,大川小学校に面した県道を走行中の広報車からの,津波が長面地区沿岸の松林を抜けてきており,大川小学校の所在地付近に現実の危険が及んでいることを伝えるものであった。 

そうすると,この時点で,大川小学校の教員は,「宮城県内」という幅をもたせたものではなく,大川小学校の所在地を含む地域に対し,現に津波が迫っていることを知ったということができ,また,前記のとおり,長面地区から大川小学校が所在する釜谷地区にかけては平坦で,特に北上川沿いには津波の進行を妨げるような高台等の障害物もない地形であり,大川小学校の標高も1ないし1.5m前後しかないことからす ると,教員としても,遅くとも上記広報を聞いた時点では,程なくして近時の地震で経験したものとは全く異なる大規模な津波が大川小学校に襲来し,そのまま校庭に留まっていた場合には,児童の生命身体に具体的な危険が生じることを現に予見したものと認められる。 


ということで、地裁判決は3時30分の時点で予見可能性を認めたということになります。

そして予見できたとしても、結果が避けられなければ過失ありとはいえません。結果は避けられたのか、結果回避義務について、まず、三角地帯が避難場所として適当であったかが検討されます。判例は、このように述べています。

イ そこで,児童の避難場所として,三角地帯あるいは同所方面を想定した ことの当否について検討するに,三角地帯付近は,新北上大橋付近の北上 川右岸に位置する標高約7mの小高い丘状の地形で,河川堤防を除けば, 大川小学校周辺では,平常時から人が立ち入る場所として,平地より標高が高い唯一のところであり,大川小学校からは直線距離で150m離れた場所に位置している。

このような位置関係からすると,三角地帯は,北上川からの距離は近いとはいえ,少なくとも大川小学校の校庭より標高が高く,また,北上川の状況を確認することができるという面において,津波襲来の危険がいまだ抽象的に予見されるにすぎない段階であれば,校庭と比較して,避難場所としては適しているといえなくもない。 

 


適しているといえなくもない、という微妙な表現ですね。標高が7mあり学校校庭より高いので、具体的な危険がせまっていない段階では校庭よりはましという限定した言い方になっています。その後、しかしと続きます。

ウ しかしながら,河北総合支所の広報によれば,津波は北上川河口付近の 長面地区沿岸の松林を越えたというのであるから,その後,津波が北上川 を遡上し,あるいは,高台等もなく,進行を妨げるもののない川沿いの土 地上を進行してくることは,大川小学校に在職していた教員としては容易 に想定し得たものと推認できることに加え,襲来する津波の高さが,当初 の大津波警報による6mであったとしても,これは,標高4m前後(水面 からの高さは3mほど)の富士川の堤防の高さを超え,標高5ないし6m (水面からの高さは4m以上)程度の北上川の堤防の高さに匹敵するものである上,その後に変更された予想津波高10mは,上記各堤防の標高の2倍にも迫り,あるいはこれを超えるものであることや,三角地帯付近にはより高い避難場所がなく,津波が三角地帯にまで到達した場合,次なる逃げ場が全くなくなってしまうことからすると,同所は,当面の避難場所としてであればまだしも,6ないし10mもの大きさの津波が程なくして到来することが具体的に予見される中での避難場所として適していなかったことは明らかである。


広報が聞こえているなら、学校周辺の状況がわかる教員には、三角地帯が危ないことはわかるから、三角地帯は、避難場所として適していないと判例はいいます。では、児童が授業でも登っていたという裏山はどう判断されているのでしょうか。