那岐山からの景色(写真:Adobe Stock)

2017(平成29)年10月22日は、大型の台風第21号が日本の南海上を北上中であった。岡山県北部の奈義(なぎ)町では、昼前まで風が弱く、風向が定まらなかったが、昼頃から北北東の風が強まり出し、夜に入ると暴風になった。この地域に特有の局地風「広戸風」である。深夜に及んで、23時08分には最大風速31.2メートル/秒(10分間平均)を記録するほどの烈風となった。台風の影響ではあるが、この時この地域は台風中心から約350キロメートル離れており、台風による通常の風とは異なる。翌23日の午前3時頃まで、奈義町で暴風が続いた。この広戸風により、奈義町では、各種公共施設の破損、瓦の飛散、倒木、農作物の被害等が発生し、被害総額は約8300万円に達した。

この台風1721号(2017年台風第21号)の接近に際して、神戸市でも同様に局地的な暴風に見舞われた。よく知られた「六甲おろし」である。神戸市で風が強まり出したのは、岡山県奈義町より少し遅く、10月22日夕方であったが、夜に入るとすぐに暴風になった。そして、23日0時57分には最大風速30.7メートル/秒を記録した。この強烈な六甲おろしにより、神戸市とその周辺地域では、70名以上の負傷者があったほか、建物への被害や停電なども発生した。

本連載を始めてから満5年、第60回目となった本稿では、この2つの局地風を取り上げる。

山岳の南麓

図1に地形図を示す。左図は岡山県奈義町とその周辺であり、鳥取県との県境に位置する那岐山(なぎさん)の南麓地域である。この地域こそ、日本三大局地風の1つ、広戸風のふるさとにほかならない。その広がりは、奈義町から津山市東部にかけての、東西20キロメートル、南北10キロメートルほどにすぎない。那岐山は、標高1255メートルで、それほど急峻な山ではない。中国地方を日本海側と瀬戸内側に分ける分水嶺の中国山地の南縁に位置している。奈義町の町名は那岐山に由来する。奈義町は1955(昭和30)年に3村が合併して誕生したが、かつて那岐山の北側の鳥取県内に那岐村(なぎそん)が存在した(1889~1935)ため、町名を「那岐町」とせず「奈義町」の表記を採用したようだ。

画像を拡大 図1. 地形図(左:岡山県奈義町付近、右:兵庫県神戸市付近、国土地理院の電子国土地図に加筆)

「広戸風」(ひろどかぜ)の名称は、1889(明治21)年から1955(昭和30)年までこの地域に存在した広戸村(ひろどそん)の村名に由来している。広戸村は、現在の行政区画では津山市の北東部にあたる。「広戸風」を「ひろとかぜ」と読む人もあるが、名称の由来を考えれば、それは誤りというべきだろう。現在「広戸」の呼称は、「広戸風」のほか、小学校(津山市立広戸小学校)や川(広戸川)の名称として残っている。

「六甲おろし」は阪神タイガースの球団歌の冒頭に登場し、曲の題名あるいは通称にもなっているが、これは局地風の名称である。図1の右図は神戸市とその周辺であり、六甲山地の南麓こそ、局地風としての「六甲おろし」の舞台である。六甲山地と大阪湾に挟まれ、海岸沿いに市街地の開けた神戸市は、六甲おろしの強風に襲われやすい場所に立地している。「おろし」は山から吹き下りる強風のことで、漢字では「颪」と書く。これは国字(和製漢字)で、誰が考案したのか知らないが、現象の本質をよく表している。

局地風が、地形によって局地的に変形された風であることは、本連載の2023年4月「やまじ風」で解説した。北寄りの強風が那岐山や六甲山地を越えるとき、条件が整えばその南麓に吹き下りて風速が著しく増大し、被害をもたらすほどの風になる。広戸風と六甲おろしは、しばしば同時に発生しているから、その発生条件に類似点があることをうかがわせる。岡山県奈義町と兵庫県神戸市は、山岳の南麓という点で共通している。