さらに、阪神・淡路大震災や東日本大震災をはじめ、各地の災害で経験を積んだボランティア団体が全国からも駆け付けた。「私たちも全ての被災現場に対応できるわけではない。レスキューストックヤードなどに助けられた」(打田氏)。

NPO法人レスキューストックヤード(RSY)は、名古屋市に拠点を持つボランティア団体。阪神・淡路大震災を契機に設立された「震災から学ぶボランティアネットの会」を発展的に解消し、2002年にNPOとして新たなスタートをきった。これまでに全国各地、40カ所の約災害現場に駆けつけ支援してきた。

丹波には、第一陣が8月21日に入り現地調査を開始した。「2009年の兵庫県佐用町の台風被害をイメージしていたが、丹波氏の被害規模は甚大だった」と話すのはRSYの浦野愛氏だ。兵庫県佐用町では2009年の台風による豪雨で堤防が決壊し死者・行方不明者20人を出している。

浦野氏のボランティアとしての原点も阪神・淡路大震災にある。避難所や仮設住宅に併設された集会所で喫茶店やバザーを開き、被災者の声に耳を傾けた。県外避難者の支援にも携わった。浦野氏らがまず手助けしたのは、ボランティアセンターの運営だった。運営主体である丹波市社会福祉協議会と協力し、戸別訪問を行った。「丹と自治会長を中心とした聞き取りでは全てのボランティアニーズを集められない。とにかく支援のもれがないように心がけた」と浦野氏は語る。ニーズを掘り起こすために個別訪問を行う一方で、作業現場とボランティアとのマッチングもサポートした。

「100人弱だったボランティアが500人、1000人と増えてボランティアセンターの運営に支障が出ていた」(浦野氏)。

RSYとともにボランティアセンターを助けていた「一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター」は東京に本部を持つ。やはり、阪神・淡路大震災の救援活動をきっかけに設立された団体で、以来、国内外で幅広く活動している。垣貫紀彦氏は丹波の初期の復興状況について「当初は地元のネットワークを生かしてボランティアセンターを運営していたので、外部の人までサポートできなかった。このままだと丹や自治会長の疲労が蓄積し続かないと思った」と振り返る。

垣貫氏は、「震災がつなぐ全国ネットワーク」で情報をキャッチし丹波市入りした。「震災がつなぐ全国ネットワーク」は阪神・淡路大震災を経験した全国各地にちらばる9つの災害ボランティア団体が連携するために発足し、参加団体を増やしながら現在に至っている。