「日暮硯」~改革の人・松代藩家老恩田木工~

「戌の満水」を検証するに当たって、「日暮硯」(ひぐらしずずり、岩波文庫)を再読してみた。140ページほどの文庫本だが、読み始めたら巻措(お)くあたわずで半日で読了してしまった。政治のあり方、上に立つ者の心得、個人の生き方に多くの示唆を与える含蓄の深い名著である。本書は、江戸中期の宝暦年間に信州松代藩(現長野市南部、真田家、外様、10万石)の家老・恩田木工(おんだもく、1717~1762、知行1000石)が、大洪水などにより破滅寸前に陥った藩財政の立て直しを藩主幸弘(当時10歳半ば)から一任され、改革に臨んで嘘をつかず、誠実・思いやりを信条とし、藩救済の功績をあげた事蹟をつづった説話集である。本書は分かりやすいのが何よりである。以下、「日暮硯」(岩波文庫)の「解説」を参考にし、一部引用する。

江戸中期になると、商品経済が発達し、全国の大名は参勤交替や江戸藩邸での多大な出費を余儀なくされ、加えて幕府から強要される御手伝普請(江戸城改修、河川改修工事などの大規模土木事業のヒト・モノ・カネ)の負担などから財政は火の車に陥った。不作や凶作も相次いだ。

松代藩では地理的要因による困難さがあった。山間のこの地は善光寺平などの肥沃な平野もあったが、千曲川・犀川の二大河川が領地内を流れており長年大水害に苦しめられて来た。中でも寛保2年の大洪水は江戸期最悪の出水となり、信州地方にも記録的被害を及ぼした。「戌(いぬ)の満水」と後に呼ばれるようになったこの大洪水は、死者が関東甲信越だけでも2万人を越えたとの説がある。松代藩は本丸まで濁水に没し藩主以下家臣たちは船で高台まで脱出し難を避けた。かつてない大打撃を受けたが、幕府からの復旧支援の手は打たれず、この大水害以降領地石高の3分の1は回復不可能なまでに荒廃した。飢饉も相次いで、藩財政は極度に窮乏した。藩士の俸禄は半減され、農民に対する年貢取り立ては苛烈を極めた。全領地に及ぶ百姓一揆が相次いで起きた。藩政は混乱し、なす術もない状態に陥った。

改革者の志を語る名著

若年の藩主幸弘は、藩財政を立て直のため年寄りの家老らを差し置いて、30歳後半の家老恩田木工を勘略奉行に抜擢した。恩田に「宝暦の改革」(1754年開始)のすべてを託した。3年間で改革の完遂を命じた。恩田は「改革が失敗に帰したら切腹する」と藩主の面前で確約した。(藩主幸弘は47年間藩政のかじ取りを行ったが、治政がよく行われ松代中興の祖の名君と称されている)。恩田は、藩主はもとより藩内有力者の信頼を得て一大改革を導いていく。

本書では、恩田の一大改革に臨む決意と実行が次々に紹介される。彼は一大改革を成就するために率先垂範がすべてとして「藩の家臣から農民に至るまで、嘘は絶対にゆるせない」と厳命する。同時に質素倹約を藩士から領民に至るまで命じ、自らも1飯1汁を堅持し妻子と離別を決意する。改革反対派は「恩田は狂気にかられた」と噂を広げる。妻子が恩田の指示に従うと確約したことから離別は中止される。

恩田は、藩情の把握のため、藩士はもとより名主や農民に至るまで徹底した聞き取りを行う。直接伝えにくい情報は書面で通知させる。ここでも「嘘(虚偽の報告)は厳禁」である。聴取の結果、重税による農民の困窮と道徳的堕落、腐敗役人の跋扈(ばっこ)、藩士の文武両道に対する怠慢などが見えて来る。彼は次々に手を打つ。

(1)年貢の軽減と金納(2)荒廃地の再開発(3)悪徳役人の追放(4)賭博や遊芸の禁止(5)正直の奨励と文武の鍛錬による風儀の改善(6)神仏への信仰心の重視…。行財政改革と道徳心高揚は3年後には一応の成功を見た。恩田は役人の怠慢な行為などには厳格に処した家老として描かれている。だがそれは専制政治につきものの理不尽さとは大いに異なる。「改革に際し自己をまず厳しく律しなければならない」とした恩田は、その禁欲的生活や激務から宝暦12年正月惜しまれて世を去った。享年46歳。

「日暮硯」を座右の書とした政財界の首脳や教育者・研究者は少なくない。本書は実践的な書物といえ、長年読み継がれてきた理由は文章が平易で物語としての構成も起伏に富んでいて巧みであることによろう。が、本書の主題が正直・信頼・合意・思いやり、そしてそれらを踏まえたうえでの成功という普遍的な性格をもった問題だという点が重要だろう。これらのテーマは時代の差異やイデオロギー・社会体制の相違を超えて通用し、どこにおいても求められる普遍的な価値に関わるものである。本書がざっと300年の歳月を越えて長い生命力を有している所以だろう。今日、政財界や有識者ら社会の指導的立場に立つ人々の倫理観の確立を望む声が各方面から聞こえてくる。自らを厳しく律してから他者に倫理を訴える指導者がどれだけいるかが問われるのだが、はたして恩田の精神を汲むことができる世の指導者はいるのであろうか?

参考文献:拙書「天、一切ヲ流ス 江戸期最大の寛保水害・西国大名による手伝い普請」、「徳川実紀」、「日暮硯」(岩波文庫)、「松代町史」、筑波大学附属図書館資料など。

(つづく)