最低気圧の極値

網走では、このメイストームに伴って、957.6ヘクトパスカルという最低気圧が観測され、これが網走における最低気圧の極値(歴代1位の記録)となっている。このメイストームによって最低気圧の極値を記録した地点は他にもある。北海道の日本海側の留萌(るもい)、小樽、岩見沢、倶知安(くっちゃん)がそうである。また、札幌、旭川、帯広および羽幌(はぼろ)ではこの時の記録が歴代2位となっている。図2に、このメイストームに伴って歴代10位以内の最低気圧を記録した地点とその気圧値、およびストーム(低気圧)の中心の経路を示す。

このメイストームに伴って、記録的な最低気圧が観測されたのは北海道に限られるが、暴風については北日本の広範囲に及び、家屋の全壊603戸、半壊1,470戸、一部損壊10,285戸との被害記録がある。また、農作物の被害があったほか、前述したように多数の漁船が遭難した。

予報研究の契機

なぜ、気象の専門家たちが、1954年5月10日の低気圧を「メイストーム」と呼んだのか。気象キャスターが、「5月には発達する低気圧が多い」と解説するのを聞くこともあるが、それも正しくない。初夏から盛夏にかけては、日本列島付近での低気圧の活動が少ない時期である。実際、調べてみると、気象庁のホームページに掲載されている2002年以降18年間の5月の天気図では、日本列島付近で中心気圧が970ヘクトパスカル以下に下がった低気圧は見当たらなかった。5月に日本列島付近で猛烈に発達する低気圧は、滅多に現れない。だからこそ、1954年5月10日の低気圧がメイストームと呼ばれたのである。5月としては特異な低気圧だから、メイストームなのである。

実は1954年当時、気象予報の世界では、数値計算によって気象の変化を予測する「数値予報」の研究の黎明期にあった。その研究者たちが研究の題材に選んだのが、1954年5月10日の低気圧であり、この低気圧は研究者たちによって「メイストーム」と呼ばれた。気象事業は災害の防止・軽減に主目的があり、このメイストームのような大きな被害をもたらす現象を的確に予測できなくては、気象事業の使命を果たすことができない。しかも、このメイストームは台風などと異なり、中緯度偏西風帯で発生・発達する典型的な気象擾乱(じょうらん)としての温帯低気圧であり、数値予報で扱うには基本的で最適な題材であった。

当時は、富士通株式会社がわが国初の実用リレー式自動計算機「FACOM100」を完成させたばかりで、気象予報の研究者たちはこの計算機を用いてメイストームの再現に取り組んだ。これを端緒として、わが国の数値予報研究は胎動を始め、やがて1959年に、わが国の官公庁では最初の科学計算用大型コンピュータの導入となる「IBM704」が気象庁に導入され、数値予報が業務として本格的に始動するに至るのである。つまり、1954年のメイストームは、気象予報の研究が進展する契機となった重要な事例であったといえる。