ひとたび大災害が発生すると、自治体の首長には一気に権限が集中し、責任と重圧がかかる。一方で災害対策本部長である首長がどう決断・指示すべきか、具体的に記したものはない。2016年の熊本地震でその苦悩を背負うこととなった、熊本県知事と県内8市町村長(震度6強以上の揺れを観測し、かつ、応急仮設住宅を建設した市町村)にインタビューを行い、これらの事実をオーラルヒストリーとしてまとめた。(写真は被災した益城町役場)
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熊本地震を乗り越えた首長に学ぶ、災害時のリーダーのあり方
朝の出勤ラッシュを突然襲った大阪北部を震源とした地震。出勤させるか、帰宅させるか、まず出社後に何をさせるかなど、状況の判断や指示に迷ったリーダーは多いのではないか。おそらくこれから数日は、同じように判断に迷う場面は出てくるだろう。危機発生時、リーダーはどのようなことを心掛けて指示をすべきか。
2018/06/19
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『熊本地震の経験を、日本全体の教訓に』(熊本県知事 蒲島郁夫氏)
二度にわたって熊本を襲った震度7の揺れ。本震が発生した4月16日は、 熊本県知事蒲島郁夫氏の3期目の始まりの日であった。 地震直後の初動対応や、将来を見据えた復旧・復興の道筋、課題など、 蒲島知事のリーダーシップと熊本の経験を全国に発信し続ける思いを聞いた。
2018/05/10
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『最悪を想定した訓練が奏功』(西原村長 日置 和彦氏)
大地震がいつ起きてもおかしくないと実践的な訓練に取り組んできたというのが西原村。それでも震度7の揺れは想定をはるかに超えた被害をもたらした。日置村長は、住民救済に加え職員のケアを重視し対応にあたった。
2018/05/07
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『震災1年後に新村長に就任』(南阿蘇村長 吉良清一氏)
震災から1年近く経った2017年2月の選挙で新たな首長に就任。 まず心掛けたのは、三役の人事と、徹底して職員や村民の意見を聞くことだった。
2018/05/01
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『公平な支援が必要』(嘉島町長 荒木泰臣氏)
震源近くの市町村に比べると比較的被害が少なかった嘉島町。だが、災害協定は結んでいたが協定先企業が被災した。一方、被災者の支援方法については、周辺自治体の対応が思わぬ不満をもたらすことになったという。
2018/04/26
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『地震の教訓を未来に生かす』(大津町長 家入勲氏)
町内に83カ所もの自主避難所や指定外避難所が開設された大津町。 住民主体で避難所運営にあたる一方で、さまざまなトラブルも発生。家入勲町長は、今回の教訓を生かした防災体制とまちづくりの必要性を説く。
2018/04/23
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『トップと政治家としての決断』(宇城市長 守田憲史氏)
水や食料の配布、罹災証明書の発行など、市民は被災時に公平性に敏感になる。 批判が寄せられる中、どう対応したのか。妨げになったものは何か。 宇城市の守田市長が得た教訓を聞いた。
2018/04/18
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『過去の災害経験を生かす』(熊本市長 大西一史氏)
人口74万人――熊本県内の3分の1以上の人口が集中する熊本市では、避難所が市民で溢れるなど災害に対する都市の脆弱性が浮き彫りになった。市全体が混乱する中、陣頭指揮をとった大西市長。その支えとなったのは、過去の災害対応の「経験」であった。
2018/04/16
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『今できることを後回しにしない』(宇土市長 元松茂樹氏)
本庁舎の4階、5階が被災し使用不能となったため、駐車場にテントを張って災害対応にあたった宇土市。電話は1回線、ホワイトボードもないという過酷な状況下で元松茂樹市長が心掛けたのはスピードだった。
2018/04/12
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『自分のこととして捉える』(益城町長西村博則氏)
震度7を2回観測した益城町。庁舎が被災し、職員の対応は14日の地震から限界を超えた。全国から応援が駆け付ける一方で、災害対応の最前線に立った職員は疲弊。職員をケアしながら適切な決断をすることが求められた。
2018/04/10