虚偽を事実のように報道する「フェイクニュース」が横行する環境の危うさ(写真:写真AC)

メディア、特にオールドメディアから伝わる情報の偏向性は世界中で問題視されている。トランプ前米大統領が「フェイクニュース」と声を荒げていたように、偏向しているのは事実である。米国の場合、ニュース報道にそれぞれの指向性があることはオープン化されているが、それでも虚偽を事実のように伝える問題性を「フェイクニュース」と称した。

米国より問題な日本の偏向報道

日本の場合は、まったく構造が異なる。表向きは報道の公平性・公正性が前提で、各論あれば均等に報じなければならない。にもかかわらず、偏向し、虚偽事項の拡散まで常態化しているのでさらに問題なのだ。

その主要な手法は「伝えたくない情報は報道しない自由」という恣意的隠蔽、「他人の恋は不倫、自分の恋はロマンス」というダブルスタンダードによるものだろう。公平に真実を伝えるというスタンスはまったくなく、メディア側の意思や意向を優先する内容になっている。放送法を厳密に適用すれば多くの違法行為の疑惑があり、日本では違法性を問えないステルスマーケティング(何らかの宣伝・広報をその事実を隠して行うこと)も当たり前のように行われている。

虚偽の拡散や印象操作も常態化している可能性(写真:写真AC)

Netflixドラマ「新聞記者」にまつわる騒動は典型的で、フィクションであるから赤木未亡人の了解を得ずとも事実と異なる描写で強行した事実や、小泉今日子氏が土壇場で出演を断ったと文春砲が暴露した。しかし一方で、一部の議員はノンフィクションとして拡散し、視聴者の多くには財務省公開の文書が示す事実よりもフィクションの方を信用させる印象操作になっている可能性すらある。