「八十八夜の別れ霜」

「夏も近づく八十八夜」は、文部省唱歌「茶摘み」の初行である。「八十八夜」は立春から数えて88日目ということで、本年(2020年)の場合は5月1日にあたる。「夏も近づく」の「夏」は、二十四節気の「立夏」(本年は5月5日)のことである。新茶の茶摘みは、4月上旬ごろに九州で始まり、近畿、東海地方では4月中旬もしくは下旬から5月にかけて行われるようだ。この茶という作物が、霜に弱いのである。

「八十八夜の別れ霜」という言葉がある。八十八夜にもなれば、大抵は霜が降りなくなるという言い伝えである。これを、気候表で確かめてみよう。

表2に、各地の霜の終日の平年日と、霜の最晩記録を示す。平年日で見ると、八十八夜のころに霜の終日を迎えるのは、主に北日本である。しかし、平年日を過ぎても、しばらくの間は霜の降りることがあるから、安心はできない。最も遅くに霜の降りた記録、すなわち霜の最晩記録で見ると、九州の福岡でさえ5月11日に霜の降りた年があり、西日本や東日本の一帯は、八十八夜の頃でも霜の降りる可能性があることを認識しなければならない。

「八十八夜の別れ霜」のほかに、「九十九夜の泣き霜」という言葉もある。まれに、九十九夜に至って霜の降りることがあり、そのときは泣いても泣ききれないほどの深刻な被害になる、という意味だ。九十九夜は、本年の場合、5月12日に当たる。晩霜害は、時期が遅くなればなるほど被害が深刻である。ちなみに、東北地方の内陸部では6月にも霜害の記録があり、北海道では7月に霜が降りることがある。

晩霜の天気図

霜は風の弱い晴天の夜に静かに進行する現象であるから、その日の天気図には共通性がある。すなわち、大陸育ちの冷たい高気圧が日本列島を緩やかに覆う気圧配置である。図1に、晩霜の被害があった日の天気図の例を掲げる。

写真を拡大 図1 晩霜害のあった日の天気図(時刻はいずれも午前9時、図は気象庁による)

2009年4月8日(a)は、関東の東と黄海南部に高気圧があり、それらが東西に連なって日本列島を覆っている。この日、愛知県三河地方で果樹などに凍霜害が発生した。

2010年4月25日(b)は、関東の東と九州付近に中心を持つ高気圧が、北海道を除く列島各地を覆っている。この日、中部地方の内陸で最低気温が氷点下になり、凍霜害が発生した。

2016年4月12日(c)は、東日本に中心をもつ移動性高気圧が日本列島を覆っている。この日、西日本や東日本で最低気温が氷点下になったところがあり、静岡茶におそ霜の被害が発生した。

2019年4月28日(d)は、東日本、朝鮮半島および華北にそれぞれ中心をもつ高気圧が東西に連なり、日本列島から中国大陸までを覆っている。この日、信州安曇野では、露地ものの野菜などに霜害が発生した。

おわりに

本稿では、晩霜(春のおそ霜)による農業被害について述べてきたが、初霜(しょそう=秋の早霜)による被害も基本的には同じである。また、農業被害というほどでなくても、身近なところでは、ベランダの観葉植物や、家庭菜園への影響も見逃せないだろう。気象情報に気を配り、霜が予想されるときは、霜に弱い植物を室内に取り込んだり、覆いをかぶせるなどの対策が必要になる。

さらに、農業以外の分野にも、霜による被害は及ぶ。冬期、鉄道電化区間で、車両に電力を供給するため上部に張られている架線に霜が成長し、列車の運行に影響の出ることがある。架線に霜が付くと、列車のパンタグラフ(集電装置)と架線との間に霜が介在してアーク放電が発生し、パンタグラフの損傷や架線の溶断等を招く。このため、鉄道会社は、凍結抑止剤を架線に塗布するなどの対策を余儀なくされる。こうした架線への着霜は、春や秋ではなく、主として冬に発生する。現在のところ、気象庁の霜注意報はこの現象を対象にしていない。

高気圧に覆われた穏やかな夜、霜による被害は静かにしのび寄る。