2018/03/26
安心、それが最大の敵だ
復興事業の成果と遺産
帝都復興事業の主な成果を見てみる。
1、 区画整理による都市改造
震災による焼失区域1100万坪の全域に対する区画整理を断行した。これは世界の都市計画史上、例のない既成市街地の大改造である。この結果、密集市街地の裏宅地(道路に面していない宅地)や畦道のままの市街化した地域は一掃され、いずれも幅4m以上の生活道路網が四通八達し、小公園も配置された。同時に上下水道、ガスも整備された。
2、 街路・橋梁・運河の整備
昭和通り、大正通り(現靖国通り)、東西・南北二大幹線として多数の幹線道路が新設された(蔵前通り、清澄通り、浅草通り、三ツ目通り、永代通りなど)。それまでの東京の街路は悪路で有名であったが、帝都復興事業によって近代的な舗装が実施され、舗装技術が初めて確立した。また歩車道の分離、街路の緑化が一般化するのもこの時からである。近代街路の設計思想が日本で確立するのは帝都復興事業によってである。
帝都復興事業によって隅田川には駒形橋、蔵前橋、清洲橋など風格のあるデザインをした橋梁が新設された。一方、小名木川、築地川など河川運河は水運のため拡幅された。
江戸幕府の軍事上の政策から隅田川に架けられた橋は両国橋、新大橋など数が少ない。明治政府は橋の懸け換えはしたものの、新設を怠っていたため、関東大震災の際、住民避難が出来ず、死者を増やす原因になった。このため、帝都復興事業では隅田川の橋梁の新設が重視された。しかも、そのデザインは戦後の橋梁よりも数段すぐれている。
3、 公園の新設
明治以来の公園は日比谷公園の新設を除けば旧来の寺社境内を転用したものであった。(上野公園、芝公園など)。帝都復興によって三大公園(隅田公園、錦糸公園、浜町公園)と52の小公園(小学校に隣接させる)が新設され、御料地・財閥の寄付により公園がつくられた。(猿江恩賜、清澄庭園など)。
この結果、旧東京市における公園のストックは飛躍的に向上した。これは帝都復興事業が実施されなかったらその外周部の市街地と比較すると明らかである。
4、 公共施設の整備と不燃建築
中央卸売市場が新たに整備された。築地の海軍跡地には江戸以来の日本橋魚河岸が移転し、神田には青果市場がつくられた。モダンな同潤会アパートが建てられた。日本にアパートメント(中層集合住宅)という建築スタイルと市民の生活スタイルを意識させた。
復興院疑獄事件
政府や財界の指導者たちは、大震災は天罰であるという「天罰論」を広く流布し、「国民精神の作興」を強調しながら、震災という異常事態をのりきっていくために復興計画を急いだ。大災害の整理と復興計画の中心にあったのが言うまでもなく帝都復興院であった(以下、松本清張編「疑獄 100年史」を参考にする)。
被災民のために復興という重要な使命を果たさなければならない復興院が、被災者を尻目に汚職の役所と化し、土地の売買を通じて大仕掛けの贈収賄をおこなっていたのである。「田園都市会社事件」ともいわれ「15万円運動費、3万円選挙費、2万円機密費」の金額が動いたとされるこの疑獄の渦中にいたのが、復興院整地部長・稲葉健之助、同土木部長・太田圓三(自殺)、同整地部庶務課長・宮原顕三などであったとされる。ことは、前日本橋区区会議員の市原求が社長で、復興院補償金審査委員長の星野錫や渋沢秀雄らを取締役とする田園都市株式会社が、府下荏原郡洗足に所有していた約30haの土地と国有地の浅草蔵前高等工業高校敷地約4haを、震災の年12月に無条件で交換したことから始まる。
ところが、年が改まって2月、この会社は交換した蔵前の土地を政府に240万円で買い上げるよう求め売買契約が成立したが、その陰で稲葉らが奔走した。2万円の機密費は稲葉に、宮原には選挙資金として3万円が会社側から贈られて来た。宮原の陳述によれば「蔵前地所の功労金」である。
この贈収賄事件が発覚したのは、大地震発生から数年経った大正15年(1926)頃になってからである。事件に関連して、復興院は「涜職(とくしょく)人間」の集団ともいわれたほど火事場泥式に大きく金儲けの機会を狙っている者が多かったという。(「法律新聞」)。復興院は「百鬼夜行」ではなく「百鬼昼行」の役所と化して、稲葉健之助ら15人は、業務横領、贈収賄、涜職のかどで起訴された。復興院疑獄事件は、「土地転がし」を主な手口としていた。
参考文献:「関東大震災」(武村雅之)、「後藤新平 日本の羅針盤となった男」(山岡淳一郎)、「関東大震災」(吉村昭)、東京市政調査会「都市問題」(昭和5年4月1日)、「東京都の歴史」
(つづく)
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