一方、フェイズの考えでは、時系列に今行うこと、数年後の対策、長期的な対応などを時間とともにとらえ、考えていかなければならないと説く。例えば、今後発生が予測されている大地震や大津波に対して、今すぐにできることと数年以内には対応しなければならないことを区分し、適切な準備のためのロードマップに従った活動を推進することが重要という。 

また、フェイズの考えには、「危機およびリスクの理解」「災害に対する準備」「災害がもたらす混乱に耐える」「不利な状況下における社会的信頼」「経済その他の機能の維持」「危機が発生している間における効果的な自身の統治」「迅速かつ効果的な復旧」「事象の経過に伴う状況変化への適応」など、永続的に時間をかけて啓発・教育していく内容も含まれることになるという。 

東日本大震災後のように、ただ闇雲に「堪え忍ぶ」ことを強要するのではなく、レジリエンスで大切な「適応」に導く道筋を指し示す教育や啓発活動による「人づくり」が重要になってくると指摘する。

重要なのは教育と啓蒙活動 
国土強靭化計画のリスクコミュニケーションに関する議論の中では、「レジリエントな日本人を作ろう」というのが最重要課題になっていると小林氏は説明する。そのためには災害発生時だけではなく事前教育も含めたリスクコミュニケーションにより、災害を乗り越える力を身に付けてもらう必要がある。しかも、「個人」だけではなく、集合体としての組織や企業にも広め、最終的にはレジリエントな国につなげていく。 

災害被害を減少させようとすると、まず「減災」という考えが顔を出すが、減災のようなハード的なこともさることながら、ソフト面への注力が今後の課題と話す。 

「私は、文部科学省の教育が大切だと思っています。しかも、ただ単純な防災の教育ではなく、生き残った人たちのメンタルケアを含めた教育にも力を注いで欲しいと願っています」 つまり、災害によって亡くなる人が出たとき、残された人達がPTSD(心的外傷後ストレス障害)などにならないようなケアに関する教育だ。 

災害によって労働意欲を喪失してしまう人が多数発生し、急に労働生産力が下がってしまう場合などは、グリーフ・ケア(grief care)などの対策も求められるようになるとする。配偶者や親、友人など大切な人を亡くし、大きな悲嘆(グリーフ)に襲われている人に対するサポートだ。 

しかし、これらに対する教育を、すべて学校教育に頼るには無理が生じる。そこで、生涯教育や社会教育などを広く活用し、「防災」に限定しない心のケアについて学べる環境を整える必要があると小林氏は指摘する。 

「一人の人が亡くなると、何倍もの人たちが仕事ができなくなると言われています。東日本大震災でも、多くの人たちがケアを必要とした状態だったにもかかわらず、国はほとんど対応できていないという現実があります。学校で親御さんを亡くした子どもに対してスクールカウンセラーの派遣を緊急に行ったのですが、それが限界。日常的にケアするという仕組みが日本では乏しいのです」。

日本人はレジリエントな国民 
以前、東京大学の藤森照信名誉教授が我が国の防災のあり方を「東京主義と京都主義」(コラム参照)で整理したことがある。 

端的に言えば、「ハード対応とソフト対応」ということになる。ハード的な対応は不可欠だが、ソフト面を強調しているのがレジリエンスの考えである。いくら防護して強くしても、どうしてもこぼれてしまう部分はあって、その部分はソフト対応でしなやかに対処しようということだ。 

「騒がず、慌てず、じっくり対応する国民」と世界から評価されている日本は、前述の「危機の間における効果的な自身の統治」「状況への適応」ということが、生まれながらにして身についている国民なのかもしれない。 

しかし、ナショナル・レジリエンス懇談会が対象としている災害は、南海トラフ地震のような超大なものである。この点、小林氏は、すぐれた国民性をベースに、さらにレジリエントになれれば、被害の縮小や速やかな立ち直りに効果を発揮できると持論を展開する。