災害列島日本、平成は大災害が多発
異常気象と地震、水害、猛暑…

高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
2019/06/24
安心、それが最大の敵だ
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。…」。言うまでもなく「方丈記」(鴨長明)の冒頭部分である。鎌倉初期の名だたる随筆であり、人生の無常観を活写した文学作品として知らない人はいない。この著名な作品は、また傑出した「災害文学」とも言えるもので、同時代の都・京都を襲った地震・風水害・火災を活写してやまない。生き地獄とも言える描写も少なくないのである。
さて平成の御代は去ったが、この時代も後世災害多発の「災害列島」として位置づけられるだろう。
国土交通省、同省国総研、文部科学省、インターネットなどの資料をもとに、平成の主要な自然災害を振り返ってみる。大半が大規模な地震である。地震災害への備えが不可欠であることを教える。同時に異常気象による豪雨や猛暑も頻発した。
<1990年代>
・雲仙普賢岳火砕流
雲仙普賢岳(雲仙岳)は、長崎県の島原半島中央部にある火山である。1989年(平成元年)から、同じ長崎県の「橘湾」を震源とした地震が発生していた。1984年(昭和59年)4月から地震が多発、1990年(平成2年)11月、雲仙岳山頂から噴火した。噴火は1990年12月に一旦収まったものの、翌年再噴火した。噴火活動は何度か収まりつつも、1995年(平成7年)3月まで継続した。なかでも一番被害をもたらしたのは、1991年(平成3年)6月3日の噴火である。長期間にわたって噴火し続けたケースとしては珍しい例とされる。死者は43人、負傷者は9人だった。
・釧路沖地震
1993年(平成5年)1月15日20時6分に発生した、マグニチュード7.5の地震である。
北海道釧路市で震度6、北海道浦幌町・帯広市・広尾町、青森県八戸市で震度5を観測した。
死者は2人、負傷者は966人だった。釧路市では各都市と結ばれていた鉄道、国道が不通となり、都市ガスが停止。そのほかにもライフラインが多く破壊され、復旧までに半年を要した。
・北海道南西沖地震
1993年7月12日10時17分に発生した、マグニチュード7.8の地震である。
北海道奥尻町で震度6、北海道小樽市・江差町・寿都町、青森県 深浦町で震度5を観測した。
震源地に近い奥尻島では、202人が犠牲になった。地震発生から津波が到達するまでに3分もかからず、多くの人が犠牲になった。この経験から、気象庁は地震発生からなるべく早く、津波に関する情報を発するようになった。
・三陸はるか沖地震
1994年(平成6年)12月28日21時19分に発生した、マグニチュード7.6の地震である。
青森県八戸市で震度6、青森県むつ市・青森市、岩手県盛岡市で震度5を観測した。
激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)が1999年(平成11年)に改正されたことで、「激震災害」であると認定された。
・兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)
1995年1月17日5時46分に発生したマグニチュード7.3の地震である。
最大震度は7で、死者数は6433人に上った。
日本で初の都市型直下地震であり、戦後2番目に死者数が多い大災害である。
震度7は当時の震度計では計測できない規模である。
阪神・淡路大震災のあった1995年は「ボランティア元年」と呼ばれ、1998年(平成10年)にはNPO法ができた。
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
リスク対策.PROライト会員用ダウンロードページ
リスク対策.PROライト会員はこちらのページから最新号をダウンロードできます。
2025/03/05
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/03/04
トヨタが変えた避難所の物資物流ラストワンマイルはこうして解消した!
能登半島地震では、発災直後から国のプッシュ型による物資支援が開始された。しかし、物資が届いても、その仕分け作業や避難所への発送作業で混乱が生じ、被災者に物資が届くまで時間を要した自治体もある。いわゆる「ラストワンマイル問題」である。こうした中、最大震度7を記録した志賀町では、トヨタ自動車の支援により、避難所への物資支援体制が一気に改善された。トヨタ自動車から現場に投入された人材はわずか5人。日頃から工場などで行っている生産活動の効率化の仕組みを取り入れたことで、物資で溢れかえっていた配送拠点が一変した。
2025/02/22
現場対応を起点に従業員の自主性促すBCP
神戸から京都まで、2府1県で主要都市を結ぶ路線バスを運行する阪急バス。阪神・淡路大震災では、兵庫県芦屋市にある芦屋浜営業所で液状化が発生し、建物や車両も被害を受けた。路面状況が悪化している中、迂回しながら神戸市と西宮市を結ぶ路線を6日後の23日から再開。鉄道網が寸断し、地上輸送を担える交通機関はバスだけだった。それから30年を経て、運転手が自立した対応ができるように努めている。
2025/02/20
能登半島地震の対応を振り返る~機能したことは何か、課題はどこにあったのか?~
地震で崩落した山の斜面(2024年1月 穴水町)能登半島地震の発生から1年、被災した自治体では、一連の災害対応の検証作業が始まっている。石川県で災害対応の中核を担った飯田重則危機管理監に、改めて発災当初の判断や組織運営の実態を振り返ってもらった。
2025/02/20
2度の大震災を乗り越えて生まれた防災文化
「ダンロップ」ブランドでタイヤ製造を手がける住友ゴム工業の本社と神戸工場は、兵庫県南部地震で経験のない揺れに襲われた。勤務中だった150人の従業員は全員無事に避難できたが、神戸工場が閉鎖に追い込まれる壊滅的な被害を受けた。30年の節目にあたる今年1月23日、同社は5年ぶりに阪神・淡路大震災の関連社内イベントを開催。次世代に経験と教訓を伝えた。
2025/02/19
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方