東日本大震災で被災地に派遣され活動する自衛隊(出典:Wikimedia Commons)

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。…」。言うまでもなく「方丈記」(鴨長明)の冒頭部分である。鎌倉初期の名だたる随筆であり、人生の無常観を活写した文学作品として知らない人はいない。この著名な作品は、また傑出した「災害文学」とも言えるもので、同時代の都・京都を襲った地震・風水害・火災を活写してやまない。生き地獄とも言える描写も少なくないのである。

さて平成の御代は去ったが、この時代も後世災害多発の「災害列島」として位置づけられるだろう。 

平成の自然災害を振り返る

国土交通省、同省国総研、文部科学省、インターネットなどの資料をもとに、平成の主要な自然災害を振り返ってみる。大半が大規模な地震である。地震災害への備えが不可欠であることを教える。同時に異常気象による豪雨や猛暑も頻発した。

<1990年代>

・雲仙普賢岳火砕流
雲仙普賢岳(雲仙岳)は、長崎県の島原半島中央部にある火山である。1989年(平成元年)から、同じ長崎県の「橘湾」を震源とした地震が発生していた。1984年(昭和59年)4月から地震が多発、1990年(平成2年)11月、雲仙岳山頂から噴火した。噴火は1990年12月に一旦収まったものの、翌年再噴火した。噴火活動は何度か収まりつつも、1995年(平成7年)3月まで継続した。なかでも一番被害をもたらしたのは、1991年(平成3年)6月3日の噴火である。長期間にわたって噴火し続けたケースとしては珍しい例とされる。死者は43人、負傷者は9人だった。

・釧路沖地震
1993年(平成5年)1月15日20時6分に発生した、マグニチュード7.5の地震である。
北海道釧路市で震度6、北海道浦幌町・帯広市・広尾町、青森県八戸市で震度5を観測した。
死者は2人、負傷者は966人だった。釧路市では各都市と結ばれていた鉄道、国道が不通となり、都市ガスが停止。そのほかにもライフラインが多く破壊され、復旧までに半年を要した。

・北海道南西沖地震
1993年7月12日10時17分に発生した、マグニチュード7.8の地震である。
北海道奥尻町で震度6、北海道小樽市・江差町・寿都町、青森県 深浦町で震度5を観測した。
震源地に近い奥尻島では、202人が犠牲になった。地震発生から津波が到達するまでに3分もかからず、多くの人が犠牲になった。この経験から、気象庁は地震発生からなるべく早く、津波に関する情報を発するようになった。

・三陸はるか沖地震
1994年(平成6年)12月28日21時19分に発生した、マグニチュード7.6の地震である。
青森県八戸市で震度6、青森県むつ市・青森市、岩手県盛岡市で震度5を観測した。
激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)が1999年(平成11年)に改正されたことで、「激震災害」であると認定された。

・兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)
1995年1月17日5時46分に発生したマグニチュード7.3の地震である。
最大震度は7で、死者数は6433人に上った。
日本で初の都市型直下地震であり、戦後2番目に死者数が多い大災害である。
震度7は当時の震度計では計測できない規模である。
阪神・淡路大震災のあった1995年は「ボランティア元年」と呼ばれ、1998年(平成10年)にはNPO法ができた。