「急に浸水が始まった。満潮になる24時頃が危ないと聞いていたのに、22時半頃から浸水が始まった。浸水が始まる時刻を早く知らせてくれれば、何らかの自衛ができたのに…。」これは、2004(平成16)年8月、台風第16号による高潮(たかしお)に見舞われた香川県高松市内で聞かれた住民の声である。
高潮害は、台風がもたらす代表的な災害態様の1つである。台風により高潮のおそれがあるとき、気象解説ではほぼ例外なく、満潮時刻を示して警戒を呼びかけることが行われる。これはどの程度意味があるのだろうか。本稿ではその功罪を考えてみたい。
台風第0416号
2004年には台風が10個上陸した。気象庁の台風統計で、2004年は上陸数に関して第1位を誇っている。この年の上陸台風はどれも特徴があった。最初と2番目に上陸した第4号と第6号については、先々月に本連載でとりあげた。
■暴風警報と児童生徒の登下校――6月の気象災害――
今回とりあげる第16号(0416号)は、この年6番目の上陸台風である。台風第0416号の経路図を図1に掲げる。2004年8月18日15時にマーシャル諸島で発生した熱帯低気圧は、19日21時に台風となった。この台風は西進して、マリアナ諸島に近づいた22日から23日にかけて爆発的に発達し、大型で猛烈な勢力になった。その後、台風は北西に針路をとり、日本の南海上の北緯23度付近に達する26日3時まで大型で猛烈な勢力を維持した。台風はさらに、日本の南海上を北北西に進んだ後、27日から28日にかけては奄美大島の東の海上で動きが遅くなり、30日未明には九州の南で転向(西進成分がなくなり東進成分を持ち始めること)し、30日10時前に強い勢力のまま鹿児島県串木野市(現・いちき串木野市)付近に上陸した。上陸後は九州と中国地方を通過して日本海に入り、31日15時に北海道北東部で温帯低気圧となり、その後オホーツク海を北上して、9月6日3時にオホーツク海北岸で消滅した。
図1では、各時刻の暴風域を赤円で示した。奄美大島を含む南西諸島北部から、九州、四国、中国地方はすっぽりと暴風域に入った。さらに、近畿地方の中・北部、東海地方の一部と北陸地方、東北地方の日本海側と北海道が暴風域に入った。台風が温帯低気圧に変わると、暴風域は決定されなくなるので、図1で北海道は一部しか暴風域に入っていないように見えるが、実際には道内各地で暴風が観測された。
この台風は、死者・行方不明者17名、負傷者260名を出すなど、各地に大きな被害をもたらしたが、特筆すべきこととして、香川県、岡山県など瀬戸内海沿岸地域での高潮による浸水被害が顕著であった。
高潮のメカニズム
高潮は台風や強い温帯低気圧などによって、海面が上昇する現象である。強い風が吹けば、海面は波立ち、波浪(高波)が発生するが、それは、数秒から10数秒の周期で海面が上下する現象で、海面の平均的な標高はあまり変化しない。これに対し、高潮は、海面の平均的な標高そのものが上昇する現象であり、海面がかさ上げされた状態になる。その原因となるものは、台風や強い温帯低気圧などによる気圧の低下と、沖合から海岸に向かって吹き続ける暴風である。
高潮の概念図を図2のように描いてみた。これは海岸付近の鉛直断面を示しており、左が陸、右が海である。台風による著しい気圧低下が起きるとともに、海から陸へ向かって暴風が吹いている状態を想定している。平常の海面の標高は黄色線で示したレベルだが、この図では気圧低下により海面が吸い上げられて上昇している上に、沖から陸へ向かう暴風により海水が海岸に吹き寄せられて、顕著な高潮が起きている。しかも、海面には波浪が生じ、海水が容赦なく陸上に侵入している。
気圧の低下による海面上昇は「吸い上げ効果」と呼ばれ、その大きさは、1ヘクトパスカルにつき約1センチメートルである。わが国の観測史上、上陸時の中心気圧が最も低かった台風は1934(昭和9)年9月の室戸台風で、室戸岬で911.6ヘクトパスカルという最低気圧が観測されている。平常時の気圧を1気圧(1013ヘクトパスカル)とすれば、このとき室戸岬では平常より約100ヘクトパスカル気圧が低かったことになる。このことから、吸い上げ効果による海面上昇は、わが国に来襲する最強クラスの台風の場合で約1メートルであることが分かる。これに対し、暴風による海水の吹き寄せ(「吹き寄せ効果」という)のほうは、風速の2乗に比例して増大することが知られている。暴風警報クラス(海上では概ね毎秒25メートル以上)の風が沖合から海岸に向かって吹き続ける状況では、吸い上げ効果より吹き寄せ効果の方が大きくなるのが普通である。さらに、海岸地形に大きく影響され、海岸が湾になっていると、暴風によって吹き寄せられた海水の逃げ場がなく、湾奥に効率よく集められるので、潮位が著しく上昇することがある。しかも、水深の浅い湾ではその効果が著しい。1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風による伊勢湾岸の高潮がその典型で、最大潮位偏差(高潮による潮位上昇)は約3.5メートルに達した。この潮位上昇に波浪が加わり、海水は容易に防潮堤を超えて貯木場を襲い、約5000人もの死者・行方不明者を出すに至った。
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