「教科書通りに作ったBCPでは機能しない」。東日本大震災以降、BCPを構築してきた日清食品ホールディングスは、2017年からそれまでのBCPを根本的に見直す作業に着手した。同社が今もっとも重視しているのは、自社施設が被災するような災害時において、主要商品を供給し続けるために、各業務の意思決定を誰がいつまでにどう行うのか、その責任の所在とプロセス、時間制限の明確化だ。


災害で気づかされた企業のミッション

食足世平(しょくそくせへい)。
「食が足りてこそ世の中が平和になる」という意味のこの言葉は、NHKの朝ドラ「まんぷく」でもおなじみ日清食品の創業者、故・安藤百福氏が掲げたもので、今も同社グループで創業者精神として受け継がれている。「戦後の焼け野原で、人々が食べ物を求めてさまよい歩く姿を見て、創業者は食を通じて何か人の役に立つことはできないかと考えたのです」。同社CAO(グループ管理責任者)の清藤勝彦氏はこう語る。

保存性に優れ、お湯を入れるだけで食べられる即席麺は災害が発生すると爆発的に需要が増大する。「非常時でも即席麺を社会に供給し続けることが我々のミッション」(清藤氏)。そのことを気づかされたのが阪神・淡路大震災だった。

当時84歳だった安藤百福氏は、震災直後に大阪本社に出向き陣頭指揮を執り、被災した神戸の街に即席麺を送り届け続けた。水道やガスが止まっていても給湯することができるキッチンカーも現地に派遣し、合計100万食を提供した。「寒い冬の時期だったので、被災者へ温かい即席麺を届けたいという思いから、全社一丸となって被災地の支援にあたりました」(同)。
その後も、大きな災害が起きるたびに被災地に即席麺を提供し続け、東日本大震災では、過去最高となる200万食を被災者のもとへ届けた。

東日本大震災でのキッチンカーによる被災地支援(写真提供:日清食品ホールディングス)

かまぼこの入っていない「どん兵衛」

しかし、東日本大震災では、それまでの災害と大きく異なる事態が発生した。茨城県取手市にある自社の生産工場が被災。さらに追い打ちをかけるように、「日清のどん兵衛」に入っているかまぼこの製造元も被災した。

わずか1センチ四方にも満たないような小さな乾燥かまぼこではあるが、原材料としてパッケージに書かれている以上、入れずに販売することはできない。結局、取手市の工場は2週間で完全復旧し、かまぼこの表記をパッケージの原材料表示から消すことで商品の出荷を継続させた。「それまで当社の主要工場は全国に分散して立地しているため、BCPは機能していると考えていたが、その枠を超える課題が初めて浮き彫りになった」(清藤氏)。