パンデミックが発生し、予想もしていなかったロシアの侵略戦争が始まるなど世界中で企業存続のリスク上昇が止まらない。とはいえ、企業にとって最も根本的な従業員の安全性の確保は、見過ごされてはならない。組織の安全診断や顧客のニーズ・状況に合わせた安全の改善プログラムを提供しているDSSサステナブル・ソリューションズ・ジャパンは、健康経営を研究し、産業医科大学で准教授を務める永田智久医師と共に、今の時代に目に見えないリスクをとらえ、安全性を確保する重要性について話し合った。
黒川 浩幸

DSSサステナブル・ソリューションズ・ジャパン 代表
元デュポン株式会社 パフォーマンスポリマー事業部 オペレーションマネージャー

永田 智久

産業医科大学産業生態科学研究所
産業保健経営学研究室准教授

田中 能之

DSSサステナブル・ソリューションズ・ジャパン 特別顧問・コンサルタント
元デュポン株式会社 代表取締役社長

リスクに対するトップの理解が不可欠

日本ではいまだ毎年800人を超える人が労働災害で亡くなっています。4日以上の休業災害による死傷者数は、2018年から増加し続けています。従業員を守る2本柱である健康と安全について現在の課題はどこにあるのでしょうか。

永田 智久

産業医科大学産業生態科学研究所
産業保健経営学研究室准教授

永田 我々、産業医にとって最も重要な役割は、業務で起こる健康障害の予防です。現時点で目に見えない、将来的な発病リスク低減の役割を担っています。これは「労働衛生」のなかで優先的に取り組むべき課題です。会社としてリスクを抑えるために不可欠なのが、トップのリスクに対する理解です。禁煙の例をとっても、我々の呼びかけに動かなかった従業員が、社長が言えば一斉に禁煙するほどトップの発言や行動の影響力は極めて大きい。だからこそ実効性のある対策とするために、どうしたらトップにリスクを理解してもらえるかを考えています。

黒川 私はデュポンのオペレーションリーダーとして、工場の安全管理などを経験してきました。従業員を雇用するうえで、最重視されるべきものが健康と安全です。しかし、身近で当たり前のことすぎて、既に十分対策されていると思い込まれ、潜んでいる危険性に気づかれていません。原因の1つは、安全管理の失敗は事故が起きてはじめて明らかになり、普段は目に見えないリスクとして潜んでいるから。労働衛生と似て安全管理は、隠れたリスクを相手にする難しさがあります。

田中 日本の企業には、安全に関わる隠れたリスクに対応できない、一貫したパターンがあります。それは、事故が起きたら社を挙げて全力で対処しますが、数年経つと忘れ去られてしまうこと。最悪なのは同様の事故の再発です。一度、事故を起こしても、トップを含めて潜んでいるリスクに気づかず、リスク認識を定着させられなかったことが原因です。

永田 我々は、産業医とトップとのコミュニケーションの機会が多いほど、またトップの関心事を産業医が理解しているほど、企業の健康施策に関与できることを明らかにしました。実際に産業医が健康リスクを減らすためにトップに働きかけができるよう、研究をもとにしたチェックリストを作成し、後押しをしています。

黒川 浩幸

DSSサステナブル・ソリューションズ・ジャパン 代表
元デュポン株式会社 パフォーマンスポリマー事業部 オペレーションマネージャー

黒川 そもそも日本の企業では、組織体制として安全管理が経営の中心であるトップから離れていることに問題があります。企業の安全を担っているのは、主に安全環境部門や安全衛生部門。ですが、安全環境部門が安全性を高める方針を策定しても、例年同じ施策で本当のリスクにまで踏み込んでいなかったり、実施のための予算獲得を事業部任せにしたり、事業部では、これまでの対策が機能しているので、安全性は確保できていると認識し手間のかかる対策強化に及び腰。トップは無事故の結果だけを見て安心し、リスクの存在まで考えが及びません。労働衛生における産業医のように、安全管理にもトップのリスク認識や理解にサポートが必要です。

田中 トップのリスク認識を助けるため、会社の現状認識のための手法の一つに弊社が提供している「安全意識調査」があります。 デュポンがグローバル7,000 社以上の企業と100万人以上のデータをもとに開発した調査で、ブラッドリーカーブ™上での安全文化レベルとともに 会社の弱点があらわになります。例えば、「会社として安全第一」を重視しているかを問うと、日本の多くの企業で経営層は高ポイントがつく。ただし現場レベルでのポイントは低い。これは、現場では安全第一で取り組めていないだけではなく、トップが現場の状態をつかんでいないとわかる。潜在的なリスク領域の特定や安全文化の可視化、全社的な危険度の測定などに役立ちます。

ブラッドリーカーブ™と組織の成長曲線

ブラッドリーカーブ™はDSS サステナブル・ソリューションズの著作物です。無断使用・転用はご遠慮ください。

法令遵守は最低ラインを目指した取り組み
健康・安全への投資が企業価値の向上に

労働の健康や安全が社会に求められる役割は、変化しているのでしょうか。

永田 近年、私が注目しているのが、「無形資源の蓄積」です。私が専門としているのは、健康経営の研究です。経営者のリーダーシップのもと戦略的に労働者の健康管理を行うことを健康経営と言います。健康経営の取り組みの効果は、生活習慣の改善や運動の促進など短期的な効果だけではなく、「無形資源の蓄積」にもあると考えています。
無形資源の1つは世界的に関心が高まっている、会社が自分の健康のことを思って支援してくれていると労働者自身が感じられる、知覚された組織的支援(POS:Perceived Organizational Support)。実はそれだけでなく、間接的に発生する人と人とのつながりのようなソーシャル・キャピタルも無形資源として重要だと考えられています。
健康経営の取り組みによって、無形資源が蓄積していくと、健康の取り組みへの参加率が高く、効果がより高まることがわかっています。また、無形資源が高い企業は離職率が低く、活力や熱意をもって働くワーク・エンゲイジメントが高いことがわかっています。このようにトップや経営層の、現場に対する健康や安全への意識の重要性は高まるばかりです。

黒川 労働の健康や安全のニーズが高まる一方で、解決されていない問題もあります。それは、労働安全衛生法に抵触するようなケースでも、人命やけがに関わることの重大さに比べ、担当者が書類送検されるだけで経営責任が不問にされていることです。トップの責任を追及し、法的な拘束を求めているのではなく、責任の重さを理解する必要があると思います。
ただし、これは法令遵守とは異なるものです。デュポンでは、「法律は常識の最低ライン」と考えています。法令遵守と言いますけど、やっていることは最低ラインを目指した取り組み。これでは事故から従業員を守れません。最低ラインよりもっと上を目指さなくてはなりません。
労働安全衛生法の第三条にも「事業者は、単にこの法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、・・・・・・」と最低基準を守ることが目的ではないという位置づけを明示しています。

永田 労働者の安全と衛生についての事項を定めた労働安全衛生法が成立、施行されたのは1972年です。立法の目的は労働者の安全と健康の確保。法令遵守は、書かれたルールを守ることと考えられがちですが、黒川さんのおっしゃるように、本来の意味での法令遵守は、上位概念に当たる目的の達成にあります。

黒川 パンデミックが発生し、予想もしていなかった戦争が始まり、不透明感が増しているこの時代だからこそ、以前にも増して企業は持続可能性、事業継続を追求しなくてはなりません。下限である法令遵守を目指すことは、投資のようなリスクを取った見返りのプラスのゲインは全く見込めず、高いリスクを取りながら、負のゲイン獲得に動いているようなものです。時代に逆らっているとも言えます。

安全を追求できる安全文化を育む
経営層自らが改善に向かう行動を

では、法令遵守をお題目にせず乗り越えるには、何が必要ですか。

田中 能之

DSSサステナブル・ソリューションズ・ジャパン
特別顧問・コンサルタント
元デュポン株式会社 代表取締役社長

田中 鍵を握るのは安全文化だと思います。また近年、製造業を中心に続発し、止まらないのがデータ改ざんやねつ造です。なぜ、データ改ざんが起こるのか。利益追求や隠蔽など理由はさまざまでしょうが、「品質には問題ない」とトップが声明を出し、謝罪をして幕引きを図っています。でも、デュポンの感覚からすると違和感しかない。デュポンの4つあるコアバリューの1つに「最高の倫理行動」として企業倫理を掲げています。データの改ざんやねつ造、つまり虚偽の申告は品質問題ではなく企業倫理違反として規定しています。倫理としてより高い志を掲げることで、本当の意味での品質を確保できるわけです。企業倫理とまでいかなくても、安全についても同様に質を確保するため、原則になる、安全を追求できる安全文化を育む必要があります。

黒川 我々は、経営層の方々とのワークショップで、自社の活動を客観的に見返す機会を設けています。そこではまず、あえて「安全の重要性」を改めて学び、考え、それを共有していただきます。自分たちでリスクを認識して、評価し、改善する。さらにPDCAを回すところまでをサポートしています。経営層が現状を認識して、経営層自らが改善に向かう行動を示す、それが安全文化を創るのための第一歩です。

永田 PDCAを含めたサポートは非常に重要ですね。2022年のはじめに、機関投資家にインタビューを行い、また、日本の上場企業の労働安全衛生に関する開示内容について調査を行いました。日本の企業は情報開示が進んでいる一方で、PDCAが回っているかが良くわからない、という意見でした。例えば、労働災害の度数率の経年変化で、ある年に急に高くなった。にもかかわらず、変化の分析結果や実施した対策について記述が乏しいため、労働安全衛生が機能しているか判断できないと指摘されました。企業価値を高めるためにも、課題とそれに対する改善策という一連の説明をぜひ続けてほしいです。
先にあげたトップや経営層がリスクをしっかりと認識し、改善の取り組みをきっかけとした「無形資源の蓄積」は、健康だけではなく労働安全にも当てはまり、安全リスクの取り組みは安全文化を育む一助となると思います。

黒川 DSSサステナブル・ソリューションズ・ジャパンでは、デュポンが試行錯誤しながら200年間に経験しつくりあげた労働安全の仕組み、その最新版を提供しています。企業の持続可能性を高め、事業を継続させるため、我々のサービスを是非、活用していただきたいと思います。