日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士は文学を愛した(出典:Wikipedia)

博士の読書遍歴

今回はリスク対策とは直接関係ない話題である。日本人初のノーベル賞受賞者である物理学者の故・湯川秀樹博士の人生哲学を考えてみたい。

近年、日本人研究者がノーベル物理学賞や同化学賞を相次いで受賞している。政界や官界の相も変らぬスキャンダルや一般社会での殺伐な事件・事故が相次いでいる昨今、心なごみ背筋の伸びる明るいニュースである。私には、国際的な物理学会における素粒子研究などの最前線を語る資格はない。だが、つくばの国立研究機関など内外の代表的研究所を見学した経験から、世界の「頭脳」たちが新たな研究成果をめざし寸暇を惜しんで、しのぎを削っていることは容易に想像できる。世界のトップを目指しているのである。

日本人初のノーベル物理学賞・受賞者が、京都大学理学部教授・湯川秀樹博士(当時、1907~81)である。70年ほど前の昭和24年(1949年)のことで、敗戦国日本の暗い世相に希望の光を与える快挙であった。私は、博士の中間子理論(原子核内部で働く力の根源を明らかにした28歳からの論文)を論じられる自信はない。だが氏の<文明論者><文芸批評家>としての傑出した才能には心から敬服しており、物理学者湯川博士の哲学や文学的精神の営為を語ってみたい。

「私は学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたいという希望は、昔も今も持っている。一度開拓された土地が、しばらくは豊かな収穫をもたらすにしても、やがてまた見棄てられてしまうこともないではない。今日の真理が、明日否定されるかもしれない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道をさがし出すために、時々、昨日まであるいてきたあとを、ふり返ってみることも必要なのである」(「湯川秀樹自選集5」より)。私の好きな言葉である。「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」。博士の名言である。

博士は紀州藩(和歌山藩)を代表する儒学者の家系に生まれた。実父は京都帝国大学文学部中国文学教授であった。学問を愛する家系に生まれ育ち、幼少の頃から中学(旧制、以下同じ)を終えるまで、祖父の薫陶を直接受けて中国の古典を素読させられた。「荘子」「墨子」「論語」「孟子」「唐詩選」「史記」「十八史略」「水滸伝」…。博士の知的な精神的風土を形成した原点である。

博士の兄弟には著名な中国文学・中国史研究家がいる。人格形成期の中学生から高校生にかけて乱読の時期を迎える。言語芸術を存分に吸収できる博士の若い柔軟な感性と知識欲には驚くしかない。日本文学の古典はもとより、西洋の古典や近現代文学なども幅広く読破している。英訳の西洋文学も読んでいる。石川啄木の短歌はほぼすべて暗誦できた。文学青年は孤独に陥りがちな秀才でもあった。その一方で、数学の「美しさ」を愛し物理学者への夢も持ち続けた。