(熊本地震により、阿蘇山では地滑りにより家や道が65mも流された地域もあった/大倉氏撮影)

京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設火山研究センター教授の大倉敬宏氏は、4月16日未明のいわゆる本震とされる揺れを阿蘇山の麓にある火山研究センターの中で経験した。天井や壁が崩落し、さらに研究センターの周辺で多数の土砂すべりが発生。アクセス道や通信インフラが途絶える中、被災した地域住民を支援しながらも、現地で観測活動にあたった。大倉氏に、当時の状況や観測活動継続に向けた取り組みを聞いた。

吹っ飛ばされるような強い揺れ

大倉敬宏氏 京都大学大学院理学研究科附属 地球熱学研究施設 火山研究センター教授

14日午後9時半頃の前震と呼ばれる揺れが起きた時は、阿蘇山の麓にある火山研究センターで、霧島の観測データの整理をやっていました。緊急地震速報は鳴らず、突然、大きな揺れを感じました。ただ、研究センターがあった地域は震度5 弱の揺れで、机の上の物が少し落ちたり本棚の本が数冊落ちる程度で大した被害は出ておらず、電話も電気も普通に使えました。

揺れが収まってから九州大学に電話をして、余震観測をするのかすぐに話し合いました。これまでも九大と共同で地震観測をしていましたし、より詳細なデータを取るために、観測点の1つをオフライン観測からリアルタイムに切り替えられないかと考えていました。

一旦家に帰りましたが、すぐに研究センターに戻り、結局その日はそこに泊まりました。

翌日も、もう1泊研究センターに泊まることにしました。朝からリアルタイムの観測点のメンテ作業や御嶽山での水準測量の準備をしようと思ったからです。センターにいたのは私だけで、4階に一人で寝ていていたのですが、ちょうど眠りについた頃、本震が起き、ドカーンと吹っ飛ばされたという感じで目が覚めました。

ひどい光景に絶句

寝ていた部屋は、普段、学生を泊められるよう本棚などを置かないようにしていので、幸い大きなものが倒れてくるような被害もなく、ケガもしませんでした。枕元においていた懐中電灯と携帯電話を持って1階に下りようとしたのですが、非常用発電機がすぐに動いたようで、電気はついていました。ただし、非常ベルがずっと鳴り響いていて、どこかで火事が起こっていたら嫌だなと思いながらゆっくり下りていきました。ひどい物の散らかりようで、2階にはコンクリートの破片まで落ちていたので「うわー」と思って1階まで行ったら、さらにひどい光景で絶句しました。天井を通っていた水道管が破裂して水浸しで、床も変形していました。とりあえず外に出ようと思ったら、正面のドアが開かない。建物が倒壊するかもしれないという不安もありましたし、すぐに裏口から外へ出ました。

(被災した研究センター 大倉氏撮影)

コーヒーを飲んで冷静に

外にはガレージがあって、そこでは電源も使えるので、電気をつけて一息ついて、まず家に電話して無事だということを伝え、九大にも電話をしました。「震源断層が日奈久から布田川断層までいったかな」というような話をしていたかと思います。

幸い、非常用のアルファ米とか、水などが配給されていましたし、電気ポットがすぐ取り出せたので、ガレージでお湯を沸かしてコーヒーを飲んで「ああ、これでちょっと冷静になれる」と思ったのを覚えています。

所員の状況については、助教の横尾亮彦さんが大津町に住んでいたので、電話をして「そっちを中心にしてやってくれ」と依頼し、結果、朝方の4時までに全員の無事が確認できました。

建物の明かりに人が集まる

そんな中で、2時50分頃には、近所の方とお会いしました。もしものために、棟の電気とか廊下の電気を全部つけていたのですが、その明かりを見て、下の住民の方が上がってきたのです。65歳ぐらいの方でした。自宅が倒壊して挟まれ動けなかったが、余震で隙間ができたので脱出し、建物の明かりを見て、斜面をそのまま上がって来たというのです。後から知ったことですが、センターの周辺で地滑りが多数発生していて、アクセス道は完全に閉ざされていました。その時点で、携帯メールや電話で、阿蘇大橋が落ちたという情報も入っていました。

その方は、犬を連れて上がってきたのですが、もう1匹の飼い犬は死んでしまって、さらに「90歳のお母さんがまだ家の中に閉じ込められたままだ」とおっしゃったので、すぐに横尾さんに救急要請をしてくれと連絡をしました。その方には、落ち着いてくださいということで毛布をあげたり、ガレージで暖まってもらい、犬にも餌をあげたりしました。

その後も、別の2人の方に出会いました。冒頭の写真のように家が地滑りにより65m 流されてしまったものの幸いつぶれなかったのですが、ご主人が持病を持っておられるということで、再び横尾さんに救急要請の追加のお願いで連絡をしました。