熊本を中心とする地震で犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害にあわれた方々に心からお見舞いを申し上げます。

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熊本地震が発生しておよそ2週間後の4月27日から4日間、被災地を訪れた。前週までは余震が多発していたが、記者の滞在中は体感できる余震はほとんどなかった。同行は本誌でもおなじみの一般社団法人日本防災教育訓練センター代表理事サニー神谷氏とレックスマネジメント代表取締役の秋月雅史氏、そして大分県でカメラマンとして活躍されている竹藤光市氏。竹藤氏は震災当日たまたま熊本県に別の取材で訪れていたため、地震直後から益城町入りして現地を取材。訪れた益城町役場では深夜に震度5強の地震も体験した。同氏は「まわりがみんな悲鳴を上げていた。上下左右に揺れて、地面が割れるかと思った。車もがくんがくん揺れていた。生きた心地がしなかった」と当日を振り返る。

福岡で集合した記者らは、事前にインターネットで益城町の特別養護老人ホームで物資が不足しているとの情報を得ていたため、まず物資を届けるべく益城町を目指した。当時は九州自動車道が被害のため熊本市内まで開通していなかったので、途中の植木インターから一般道に入るが、あたりはほとんど被災しておらず今回の地震が局所的なものであることを伺わせる。しかし益城市に近づくと様相は一変。ブルーシートのかかった家が見え始めたかと思うと、いたるところに倒壊した家屋が無残な姿を見せるようになる。

写真を拡大  震災後、現地ではブルーシートが足りないといった声も上がっていた。
写真を拡大  倒壊した家屋が姿を見せ始める。このように一階部分が完全に押しつぶされている家が多かった。
写真を拡大  多くの人が不安な一夜を明かした益城町役場も大きく被災していた。
写真を拡大  益城町木山周辺。企業のBCPコンサルをつとめる秋月氏は、「益城町周辺の地盤は、他の報道でも言われているように阿蘇山の火山灰でもろいと同時に、地下水位も高かったのでは」と指摘する。
写真を拡大  被害が最もひどかった国道28号線の南側。被害がない家の方が少なかった。
写真を拡大  益城町内の寺。屋根から下が完全に崩壊しているのが分かるだろうか。
写真を拡大  老人ホームを目指すが、市内のいたるところで通行止めが発生。カーナビは役に立たない。
写真を拡大  福岡空港からおよそ4時間以上かけて、物資を届けた。通常であれば2時間程度の道のりだ。左がサニー神谷氏。
写真を拡大  物資の中身を説明する神谷氏。奥に段ボールが山積みになっているが、これらは「物資が足りない」と職員の家族がインターネットで発信したところ、記者らが行った日にちょうど運ばれたもので、前日までは何も届いていなかったという。「当初、自衛隊さんが食料を持ってきてくれましたが、申し訳なかったけれどお年寄りには固くて食べられませんでした。たくさんの物資が届いて助かります」と代表の方から。
写真を拡大  老人ホームにボランティアとして駆け付けていた再春館製薬社長の西川正明氏と偶然お会いすることができた。「物資が不足していると聞いて、居てもたってもいられなくて駆けつけました。明日からはちゃんとスーツを着て会社の立て直しも頑張ります」とのこと。気負いもてらいもなく、地元のために当たり前にボランティアをしている姿が印象的だった。(※編集部注:転載不可)
写真を拡大  静岡ナンバーのワゴンで物資支援に駆け付けていた笑顔の素敵な3人組。名前は、聞かなかった。ワゴンには「子ども用の絵本」と書いた段ボールもあり、ボランティアは手慣れた様子。急いで次の支援先へ向かおうとしていたが、「ホームページで公開してもいい?」と聞いたら快諾して写真を撮らせてくれた。いつかどこかの空の下で再会できたら、ゆっくりと話を聞かせてほしい。(※編集部注:転載不可)
写真を拡大  益城町内のとある場所に設置されたメガソーラー。一部で地盤が崩落している。
写真を拡大  避難所にもなっている益城町総合運動公園横の空き地。これらを「ゴミ」と形容するのは抵抗がある。災害は一瞬にして数々の思い出を奪っていく。
写真を拡大  再び益城町に戻って最も被害のあった地域へ。余震が心配とは言え、やはり自分の家から思い出の品を持ち出したいという気持ちは切実だ。
写真を拡大  古い家だけが倒壊していると思っていたが、そうではない。
写真を拡大  こちらも、1階が押しつぶされた家。周りと比べると、比較的新しい。
写真を拡大  周辺の家が倒壊するなか、左の家だけは(少なくとも外観は)被害を免れていた。しかし電柱が倒れそうなので、危険には変わりはない。
写真を拡大  車の被害も多くみられた。
写真を拡大  いつになったら、日常を取り戻せるのだろうか。

 

建築の専門家は、「現在の耐震基準は大地震が連続して建物を襲うことを想定していない」とする。しかし、その想定外が熊本地震で発生してしまった。本日付(5月10日)の朝日新聞朝刊では「新耐震基準で全壊51棟 熊本・益城、00年以降の木造」との見出しが躍る。日経BP社の省エネNext編集長小原隆氏は、「活断層の近傍は家を建てないようにすべき。おりしも多くの自治体は今、コンパクトシティを目指し、立地適正化計画を作成している。居住誘導区域の設定を機に、活断層近傍では土地利用や建築の規制に踏み込んでもらいたい」と自身のフェイスブックで指摘する。(小原氏が執筆した記事は以下から閲覧できる)

「見逃された「活断層に住宅」のリスク」(日経ホームビルダー)
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/bldnews/15/041500569/050200053/?ST=smartbuilding

首都直下地震や南海トラフ地震が発生した場合、首都圏に住む住民は耐震化や家具の転倒防止などを施した自宅での「在宅避難」が基本となる。しかし今回の熊本地震のように震度7が2回、震度4以上は104回、震度1以上は実に1351回(5月9日18時時点。気象庁ホームページhttp://www.jma.go.jp/jma/menu/h28_kumamoto_jishin_menu.htmlより)という未曽有の災害が私たちに降り注いだ時に、はたして「在宅避難」は可能なのだろうか。企業の耐震対策も、現在のままで十分なのだろうか。いたずらに不安をあおるわけではないが、今後の活発な議論が必要だと感じた。

次回は「南阿蘇編」をお送りします。
(撮影・文/大越 聡 機種/Canon EOS 80D)